【萩京子・極私的作品解説】
グランド電柱
詩:宮澤賢治、曲:林光
1991年、生活クラブ生協神奈川創立20周年記念公演『宮澤賢治冬季大運動会』において初演された。
残念ながら、もう絶版になってしまっている一ツ橋書房刊の「林光 歌の本」(全4巻)は、それぞれ「四季の歌」「恋の歌」「ものに寄せる歌」「ことに寄せる歌」と分類されている。
この4冊の歌集の編集(曲の配置)は、作曲者である林光自身によるもので、他の誰も真似することのできない、林光の編集人としての「ちからわざ」が見て取れる。
おかげで、(というのは多少皮肉も入ってしまうのだが、)楽譜を手にしてから20年近く経つと言うのに、いつまでたっても、「あの曲はどこに入っていたかな?」と悩むことになる。
少し長くなるが、林光が書いた第1巻「四季の歌」のまえがきの一部を引用する。
ジャンル別だの年代順だのというありきたりでない、「四季の歌」「恋の歌」「ものに寄せる」「ことに寄せる」という巻別が、『古今』『新古今』にはじまる中世の和歌集の構成からヒントをもらった結果(であって、また同時にパロディ)だということは、一目瞭然であろう。
かれら「歌集」の編者たちは、無数の他人の作品を選び、配列することで、ひとつの時代の精神を表現したのだ。
ぼくが試みようとしたのは、中世の歌集編者たちを真似て、けれども他人の作ではなく、ぼく(の)自身のウタを並び替えてみることだった。
うーん。なるほど。かっこ良い。
そしてこの宮澤賢治の詩による「グランド電柱」はどの巻に入っていると思います?
答えは「四季の歌」。「秋の歌」の中に入っています。
私は恥ずかしながら、この歌から季節を感じることはなく、花巻の田んぼと電柱。略奪などということばで攻め立てられる(?)気の毒な雀たちを、勝手に脳裏に描く。
「すすきの赤い穂も洗われ」という一節があるので「秋」なのだろう。
「秋の歌」に分類された「グランド電柱」と向き合うと、旧知のともだちの別の面を知る、というような感覚になる。
「碍子(がいし)」ということばが出てくる。
私が「碍子」ということばに出会ったのは宮澤賢治作品だった。そして、賢治作品以外では「碍子」ということばに出会うことがほとんどない。
電柱や電線や電車などに強く思いを馳せる賢治は「碍子」という物にもその音色にも特別な思いがあったに違いない。
「グランド電柱」ははじめ単旋律の歌だった。一ツ橋書房から出版される際は2番が二重唱になっていた。その後混声合唱版もできた。ユニゾンを大勢で歌うことも多いのだが、ソロで歌う味わいもなかなか良いと思う。
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グランド電柱
あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穂も洗はれ
野原はすがすがしくなつたので
花巻グランド電柱の
百の碍子にあつまる雀
掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花巻大三叉路の
百の碍子にもどる雀
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だれが鈴をつけにいくのか
詩:廣渡常敏、曲:林光
音楽之友社から出版されている楽譜「鼠たちの伝説」のまえがきを見ると、この作品の変遷がよく見える。
初演はFM放送である。NHK大阪放送局の制作で、1976年度芸術祭合唱部門参加作品。ディレクターは林光作品の制作ではちょっと鳴らした戸祭鳳子さん。演奏は大阪放送合唱団、林光(キーボードとフォークソング・ソロ)、指揮は山田一雄とある。山田一雄!元祖ヤマカズさんだ!
ステージ初演は1977年11月7日上野学園石橋メモリアルホール、演奏は日本合唱協会、佐藤信さんの演出で行なわれた。その際に何曲か書き加えられている。光さんのキーボードと指揮のヤマカズさんは同じ。
そして1980年にこんにゃく座が上演することになる。萩京子のはじめてのオペラ『なにもないねこ』と2本立てで、9月12日、中野文化センターで岡村春彦さんの演出で公演した。
そのとき、『鼠たちの伝説』のピアノは萩京子が弾いた。そしてこの「だれが鈴をつけに行くのか」(楽譜上のタイトルは「ラジオ番組」である。)は萩京子が弾き語りした。というわけで、極私的にたいへん思い入れの深い曲なのである。
出版され、今やきちんと伴奏譜が整えられているが、何しろ初演が光さん自身の演奏だったので、(というか、作曲がぎりぎりだったのだろう)、私がはじめに手にした楽譜の伴奏部分はコードネームのみのところが多かった。
『鼠たちの伝説』は、オルフォイスとオイリディーケの物語がベースになっている。オルフォイスとオイリディーケが鼠で、プルートが猫というわけである。安部公房の「プルートのわな」をヒントにしている。
だれがプルートの首に鈴を着けに行くか、そのことが世の中全体の話題の中心になっていて、フォークソングにも歌われるようになる。それをラジオで聞いていたネズミ共和国の大統領であるオルフォイスがラジオのスイッチを切って、「市民諸君、私が行こう」と決意することになる。
林光さんがオペラと同時にちからを注いだ合唱劇、合唱オペラの皮切りになる作品で、加えて1970年代という林光メロディーの時代(←萩京子命名)の作品なので、印象的な曲が並び、現在に至るまで、たくさんの合唱団によって上演されている。
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だれが鈴をつけにいくのか
誰が鈴をつけに行くのか
今夜生まれる八匹の子供たちのために
誰が鈴をつけに行くのか
明日生まれる六十四匹の孫たちのために
誰が鈴をつけに行くのか
千匹のオルフォイスとオイリディケの朝ごはんのために
誰が鈴をつけに行くのか
うろちょろ横丁での陽なたぼっこのために
誰が鈴をつけに行くのか
夕方の当てのない散歩道のために
誰が鈴をつけに行くのか
夜のおしゃべりのひと時のために
誰が鈴をつけに行くのか
娘たちの花摘みのために
誰が鈴をつけに行くのか
春 夏 秋 そして長い冬のために
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