朝どれソング
朝どれソングとは...
ソングを毎月7日に2曲ずつ、二年間かけてお届けします。まずは萩京子作曲のソングを24曲、そして林光作曲のソングを24曲。とれたてのみずみずしい食べ物のように、みなさんのエネルギーの源になることを願って。
今月のソング(2018年9月7日公開)
♪わたしのお月さま〈齊藤路都〉
♪枯れたオレンジの木のシャンソン〈島田大翼〉
映像:和久井幸一
【萩京子・作曲ノート】
わたしのお月さま
詩:佐藤信、曲:萩京子
お月さまの歌であることは確かです。
間奏に「月光の曲」が顔を出します。
どうしても入れたくなってしまったのです。
あこがれの曲ですから。
この場合の引用は敬意の現れです。
月の神さまと言えば女神。
この歌は、「ピノッキオ」の物語でピノッキオを見守る女神が歌う、そういう場面での劇中歌でした。
詩を書いたのは佐藤信さん。
佐藤信さんの詩に作曲するのは、この曲がはじめてでした。
ときめきました。
その気持ちがこの歌に流れ込んでいると思います。
月と舟が登場する歌。
夜の空を海に見立てることは、万葉集のころから始まっています。
この歌もその流れを汲む「月の舟の歌」のひとつとして、仲間に入れてもらえたら、と思います。
+
詩を表示
わたしのお月さま
お月さまが 水浴びしてる
今夜 震える空気の中で
白い衣が柳に揺れる
光の雫に濡れている
小さな舟を漕ぎ出して
覗き見したのは 誰かしら
金の鎖を絡ませて
誘惑したのは誰かしら
こんな夜 明る過ぎる夜
こんな夜 寂し過ぎる夜
お月さまが お散歩してる
今夜 砕けた鏡の中で
青い足跡 水面に揺れる
光の湖 消えてゆく
小さな舟を漕ぎ出して
さよなら言うのは 誰かしら
金の鎖を絡ませて
沈んでいくのは 誰かしら
こんな夜 明る過ぎる夜
こんな夜 寂し過ぎる夜
|
枯れたオレンジの木のシャンソン
詩:フェデリコ・ガルシア・ロルカ、訳:長谷川四郎、曲:萩京子
「イエルマ」などがその代表だと思いますが、ロルカにとって「子を産まない女」がたびたび大きなテーマになります。
「生産性のない存在」?
この「枯れたオレンジの木のシャンソン」も、ロルカ研究の側面から読み解くと、「子を産まぬ女」の孤独、孤立、抑圧、絶望…、ということがテーマとして捉えられることになるのだと思います。
が、私はその読み解き方に馴染めないでいました。
今もそうです。
ロルカの詩とは、長谷川四郎さんの訳詩で出会いました。
そしてこの「枯れたオレンジの木のシャンソン」に引きつけられました。
実の生らないオレンジの木をイメージしたときに感じるさびしさと共感。
鏡の中に身を置く恐ろしさ。
恐ろしいほどの孤独感。
が、長谷川四郎さんの訳詩によって、なぜか不思議な温かさも感じてしまいます。
木々を渡る風や、木こりが木を伐る音を感じることができます。
それにしても「ほそいわた毛がぼくの鳥」って何?
そんな夢を見たいだなんて…。
「枯れたオレンジの木」を愛しく感じます。
「枯れたオレンジの木」という存在そのものに、人を突き放さない、森の木々の包容力のようなものが感じられます。
そんなことを思って、若き日に夢中で作曲しました。
+
詩を表示
枯れたオレンジの木のシャンソン
きこりよ
ぼくの影をきりおとせ
実をむすばぬ自分を
見ることの苦痛から
ぼくをときはなせ
鏡 鏡 鏡のあいだに
どうしてぼくは生まれたのか
ぼくをめぐって日はぐるぐるまわる
夜は星々の一つ一つに
ぼくをうつして見せる
自分を見ないで
ぼくは生きたい
アリのむれがぼくの葉っぱで
ほそいわた毛がぼくの鳥で
あるような夢が見たい
きこりよ
ぼくの影をきりおとせ
実をむすばぬ自分を
見ることの苦痛から
ぼくをときはなせ
|