【萩京子・極私的作品解説】
銀河の底で歌われた愛の歌
詩:廣渡常敏、曲:林光
1982年に初演された東京演劇アンサンブルの『銀河鉄道の夜』の劇中歌として作曲された歌。
林光さんの数ある劇中歌の中でも、この歌の旋律の美しさは際立っている。
はじめは劇中歌として単旋律だったが、のちに独立して歌われるようになり、二重唱ヴァージョンが生まれた。
この二重唱も、古今東西のあらゆる二重唱曲のなかで最も美しい歌のひとつだと思う。
もう劇中歌だと思う必要もない。
前半の
ひとすじに やさしく
まなかいに いつまでも
愛
の部分は単旋律のまま。
このあと「貝がらに火をともし~」以降が二重唱になる。
下の段に書かれた(後から書かれた)メロディーは、もとのメロディーの下で寄り添って動き、ときどき同じ音になったり、となりの音になったり、「あの人の名前をよぼう」の「よぼう」のところでは、思いが募って(!)、もとのメロディーより高いところまで行ってしまう。
後半、ふたたび「ひとすじに やさしく~」は、また単旋律になって、ピアノが微かに上っていくイメージで静かに終わる。
「ひとすじ」の「す」が小節の頭で、この音(Mi♭)がこの曲の主音だろう。
曲は琉球音階でできている。
だがひとつの音階に徹底しているわけではなく、少し逸脱するところが、魅力となっている。
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銀河の底で歌われた愛の歌
ひとすじに やさしく
まなかいに いつまでも
愛
貝がらに火をともし
あの人の名前をよぼう
さそり座ゆらぐ 夜
麦の穂をくちびるに
ねがいごとささやこう
乙女座燃ゆる 夜
ひとすじに やさしく
まなかいに いつまでも
愛
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サザンクロスの彼方できこえた父が息子にあたえる歌
詩:廣渡常敏、曲:林光
「銀河の底で歌われた愛の歌」と同じく、1982年、東京演劇アンサンブル公演『銀河鉄道の夜』の劇中歌として作曲された。
廣渡常敏さんのことは、昔からのお仲間や東京演劇アンサンブルの皆さんは「タリさん」と呼んでいたので、私も「タリさん」と呼ばせていただいていた。
光さんとタリさんは盟友ということばがぴったりである。
この詩にはタリさんの一貫した思いが流れている。
それは次の世代に託す思い。
そのころは、光さんもタリさんもまだ50代だった。
そんなに次の世代に託さないでも良いのではないか、と20代の私は思っていた。
だが、60代ともなると、私にもタリさんの思いが少しわかるようになってきた。
でも今はどちらかと言うと、次の世代に託すというより、次の世代に申し訳ないような気持ちが強い。
こんな時代のまま、次の世代に渡してはいけない…。
さて、話は変わるが、演劇の音楽は生演奏で行なうこともあるが、録音で行なうことも多い。
この『銀河鉄道の夜』の録音には、当時こんにゃく座の座員が歌で参加したこともあり、私は録音を見学した。
まだ幕が上がっていない、劇中の音楽から想像する「銀河鉄道の夜」。
とてもワクワクしたのを覚えている。
そのときに限らず、私は林光さんの録音現場にピアニストとして参加したり、ただ覗かせてもらったりした。
曲は大抵できたてである。
写譜屋さんがパート譜を仕上げて飛んでくる。
普通の演奏会とは様子が違っていて、大きな音の楽器はそれぞれのブースに入っていて、お互いが見えない。
作曲者(指揮者)はスタジオの真ん中で、ヘッドホンを着けて、録音されている音を聞きながら指揮をする。
ストップウォッチで時間を計ったりしながら。
求められている曲の長さを気にするのである。
一曲録音すると、ガラスのこっち側、録音のエンジニアやその仕事の関係者がいる部屋にやってきて今録音した音を聞く。
「OKね」と言ったり、「もう一回やろうか」と言ったりして、すべて作曲家が主導して進めていく。
私はこのスタジオ録音という現場が好きだ。
光さんの録音現場は緊張感もあるが和やかさもある。
自分の演奏する曲は録り終わったと思って楽器を片付けはじめた演奏者に「もう一曲あるよ~」なんて光さんが声をかけたこともある。
録音が終わると光さんのマネージャーさんが演奏者にギャラを手渡す。
後に、自分が作曲してスタジオ録音をするという立場になったとき、すべてこの光さんの現場を思い出しながらやっている。
ほどほどのところでOKを出すのもヒカル流である。
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サザンクロスの彼方できこえた父が息子にあたえる歌
息子よ
父と遠くはなれて
おまえは淋しいか
けれど息子よ
父のいない食卓を
淋しがるな
父のいない日曜の朝を
淋しがるな
息子よわたしも
肩車したおまえを
夢みることをやめよう
きみは幼い
父の仕事がわかるには
幼なすぎる
けれど息子よ
おまえの小さな手で
こぶしをつくれ
やがて父をのりこえる
日がすぐくる
息子よわたしは
その日につづく戦いを
いま 戦っているのだ
きみは自分の値打ちを
ひとりで見つけだせ
きみとぼくと腕を組める日は
もう来ないのだ
息子よ 息子よ
遠くはなれたところで
わたしはおまえを
呼んでいる
呼んでいる
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