【萩京子・作曲ノート】
餞
詩:稲葉嘉和、曲:萩京子
1980年代、私が20代のころ、労働者の音楽運動に接する機会を得て、旧国鉄の職員だった稲葉嘉和さんの詩に出会いました。
最も強烈だったのが「裸の群像」という詩です。
国鉄の大井町の工場に大きなお風呂があり、そこに汗にまみれた大勢の男たちが入っている様を描いています。
ふんぞりかえっているチンチンやうなだれているチンチンなど、様々なチンチンが登場します。
「色とりどりのチンチン・・・」と始まるその詩に私が作曲したことは、ちょっとした話題になったそうです。
それから数年間、「裸の群像」のを皮切りに、稲葉さんの詩や、国鉄以外の労働者の詩にも作曲しました。
戦後の労働運動、60年安保闘争、70年安保闘争を経て、日本がゆがみ始めた時代だと思います。
が、働く人から発せられることばには魅力がありました。
うら若き、というほど若くもなかったかも知れませんが、「色とりどりのチンチン!」と作曲してしまってから後は、私はもう何も怖くなくなりました。
「餞」は、電車の車体を載せる台車の修理をする作業のなかから生まれた詩です。
作者は台車を「こいつ」と呼び、人と物の関係を越えた連帯を感じさせます。
大勢の人々を載せて走り続けてきた台車に対する思いを、「白熱のリベットを打ち付ける」という行為で表していて、そこには言葉の入り込む余地のないほどの労働や労働運動に対する強い思いが感じられます。
稲葉さんには「工具考」という詩もあって、リベットもそうですが、稲葉さんのおかげで私は自分ではさわったこともない工具の名前を知りました。
金属の冷たく堅いイメージを持つ工具たちを通じて、逆に「働くこと」「生きること」への思いの強さと熱が伝わってきます。
ところで、「チョコレート色の車体」という言葉が出てきます。
こういう言葉に鉄道ファンはぞくっとすることでしょう。
今ではチョコレート色の車体というと阪急電車を思い浮かべますが、山手線が緑色になる前、1960年代くらいまでは、都内の国鉄車両はチョコレート色だったそうです。
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餞
戦争からの三十数年間を
ただ走り続けてきた
DT十三型と呼ばれる台車
虚無や熱情や混乱や復興や
貧しさや豊かさや
その時代その時代の人間の
暮らしの縮図を詰め込んだ
チョコレート色の車体を乗せ
愚直なまでにただ走り続けてきた
今老いさらばえ
最後の修理を受けている台車に
優しいねぎらいの言葉は似合わない
荒々しい男の手つきで
白熱のリベットを打ち付ける
それが俺にできるたった一つのお前への餞だ
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朝に晩に読むために
詩:ベルトルト・ブレヒト、訳:野村修、曲:萩京子
朝に晩に読むために、この詩をいつも持っていてね
そして、私のことを思ってください。
と、読み取ると、たいへん熱いラブレターになります。
「君死にたまふことなかれ」という意味でとらえると、強烈な反戦詩になります。
この詩はその両方なのだと思います。
男性であるブレヒトが書いた詩ですが、書き手を男とも女とも受け取ることができます。
野村修さんの訳詩は、私の愛する人を男性と捉え、私を女性と捉えているように感じられます。
ブレヒトが恋人に宛てて書いたらしいので、そのようにされたのでしょう。
ブレヒトという人は、ラブレターを書いても演劇的。
食えない男ですね。
恋人に、夫に、弟に、「生きて帰って来てください」と言うことが非国民なのだとすれば、
非国民でいましょう。
とにかく弾を避けて生きて帰ること。
この詩はそう訴えています。
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朝に晩に読むために
わたしの愛するひとが
わたしにいった
きみが必要だ、と
だから
わたしは気をつけて
道をゆき
雨だれをさえおそれる
それに打たれて殺されてはならない、と。
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