【萩京子・極私的作品解説】
魚のいない水族館
詩:佐藤信、曲:林光
1976年作曲。黒色テント『ブランキ殺し上海の春』の劇中歌として歌われた曲。
私はこんにゃく座に関わるか関わらないかくらいの頃、この舞台を見た。
男二人、女ひとりという場面だったように思う。
だからなんとなく三角関係の歌だと思っていた。
間違っている?
近松みたいな芝居のタイトル。
そして「魚のいない水族館」という曲のタイトル。
佐藤信のことばの磁力に引きつけられ、林光の最もシンプルで美しいメロディーに魅了された。
1970年代は光さんのメロディーの時代と私は勝手に名付けている。
現代音楽の先端に行き、それから演劇の、しかもアングラの最先端に音楽を送り込んできた。
そしてその時代は、日本の激動の時代で、60年代から70年代にかけて、光さんもデモや集会に足しげく出かけていたことと思う。
光さんが純音楽(?)をあまり書くことができなかった時代。
だが一番豊富な「うたの時代」だったのではないだろうか?
陸前高田の海辺を歩いたとき、打ち上げられた船に貝殻が無数にこびりついていて、風に鳴っていた。
この歌は三角関係の歌ではなくて、弔いの歌なのだと思う。
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魚のいない水族館
星ひとつ
沈んでる
青みどろ
ひかる砂
魚のいない水族館
誰も来ない日曜日
貝殻の
風に鳴り
ひび割れた
夢を吐く
魚のいない水族館
誰も来ない日曜日
いつの間に
骨乾き
蝋燭に
影つくる
魚のいない水族館
誰も来ない日曜日
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舟のうた
詩:佐藤信、曲:林光
佐藤信の詩、林光の曲のソングに「舟唄」と「舟のうた」がある。
「舟唄」は1967年。『皇帝ジョウンズ』(原作ユージン・オニール)の劇中歌。
「舟のうた」は1969年。『おんなごろしあぶらの地獄』の劇中歌。
どちらも劇団自由劇場の公演。
このふたつの歌はそれぞれ別のシチュエーションの中で生まれたものだけれど、合わせ鏡のような歌だ。
ともに船出を歌っているのだが、「舟唄」は男のロマンそのもの。
「舟のうた」は現実を知っている女のドライな目で男の夢を突き放すほどの冷たさではなく、見ている。
そんなふうに感じる。
「舟のうた」は通俗性を逆手にとったソングだ。
光さんのひとつの手法だ。
歌詞にベイビーベイビーというようなフレーズが出てきたとき、光さんはどんな顔で作曲していただろうか?
きっとにんまり笑いながら、「ベイビーベイビー」と口ずさみながら作曲していたことだろう。
思いっきり、通俗の音の海に飛び込む作曲。
潔いと思う。
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舟のうた
男たちの大好きな
いつも同じなお伽話
もうじき ここを抜け出せる
明日の朝に 世界が変わる
ベイビイ 一緒に旅に出よう
ベイビイ ふたりで舟つくろう
男たちの大好きな
いつも同じなくどき文句
おいらは お前を救いだす
みんなすっかり 新しくなる
ベイビイ 一緒にやり直そう
ベイビイ ふたりで舟つくろう
男たちの大好きな
いつも同じな手づくりの舟
おいらはお前を離さない
気のいい仲間と 舟出のときだ
ベイビイ 一緒にはじめよう
ベイビイ ふたりで舟つくろう
知っているのさ あたしはいつも
あたしの舟はこのベッドだけ
知っているのさ あたしはいつも
あんたの舟もこのベッドだけ
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