【萩京子・作曲ノート】
唄
詩:ジャック・プレヴェール、訳:小笠原豊樹、曲:萩京子
1900年生まれのフランスの詩人、ジャック・プレヴェールの詩。
プレヴェールと言えばシャンソンの代表曲のように言われる「枯葉」が有名である。「枯葉」の作曲はジョゼフ・コズマ。プレヴェールとコズマのコンビで作られたシャンソンは50曲以上あるそうで、詩人と作曲家の出会いのすばらしく幸福な例を見せつけられる。
プレヴェールの場合、詩はすでに歌としてこの世に出ている場合が多い。「唄」は詩集「ことばたち」(Paroles)に収められているのだが、クリスティアヌ・ヴェルジェという女性作曲家が作曲し、映画「めぐりあわせ」の中で歌われているとのこと。このことは高畑勲訳の「ことばたち」(全訳)の解説で知った。
私は小笠原豊樹訳でこの詩と出会った。小笠原豊樹は詩人岩田宏その人である。
私が「ソング」を作曲する、という意識を持ったころ、一番はじめに興味を持った詩人のひとりだ。
「きょうはなんにち きょうは毎日だよ」という書き出しに誘われるような気持ちがした。
「きょうはなんにち」の原文は「Quel jour sommes-nous?」
フランス語では「わたしたちはどの日にいますか?」という言い方になる。
それを高畑勲氏は「ドノ日ニ イマスカ ワタシタチ」と訳している。
プレヴェールの皮肉屋な面が良く出ている。
でも、私は小笠原訳と出会った。小笠原訳だから、この曲ができたのだと思う。
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唄
きょうはなんにち
きょうは毎日だよ
かわいいひと
きょうは一生だよ
いとしいひと
ぼくらは愛し合って生きる
ぼくらは生きて愛し合う
ぼくらは知らない 生きるってなんだろう
ぼくらは知らない 日にちってなんだろう
ぼくらは知らない 愛ってなんだろう。
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電線工夫
詩:宮澤賢治、曲:萩京子
電線の仕事に従事する作業員への賢治の視線。尋常じゃありません。
怖いもの見たさのような感覚で、目が釘付けになっている感じ。
賢治はほんとうに電信柱とか、電線などが好きだったのだなあ、と思う。
長い時間、見つめていたに違いない。
窓から眺めていたのだろうか?
それとも雨に濡れながら?
眺めれば眺めるほど、わけのわからない物語が沸いて出てくるようだ。
「気まぐれ碍子」とはなんだ?
アラビアンナイト型とは?
悪魔ということばも出て来た。(悪魔そのものは登場してはいない。)
賢治の物語にときどき登場する悪魔は、チャーミングな存在だったり、怖い存在だったりするが、この詩では脅し文句(?)のように使われている。
この詩は、薄暗さのなかに不気味さを醸し出すことばが散りばめられ、しかし基調としては弾む気持ちが流れているように感じる。
この詩を読むと楽しい気持ちになる。
後半で3人のうちのひとりが「ハ、ハ、ハ…」と持続して歌うのは、作曲者の創作。
電線工夫と詩人の関係を眺めている悪魔。そんなイメージ、だったかしれない。(勝手な妄想です。)
1996年.賢治生誕100年を記念したコンサート「イーハトーブ大音楽会」で初演。
初演は女声3重唱として演奏。今回の「朝どれソング」での演奏が、多分男声3重唱版としての初お目見えとなる。
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電線工夫
でんしんばしらの気まぐれ碍子の修繕者
雲とあめとの下のあなたに忠告いたします
それではあんまりアラビアンナイト型です
からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ
外套の裾もぬれてあやしく垂れ
ひどく手先を動かすでもないその修繕は
あんまりアラビアンナイト型です
あいつは悪魔のためにあの上に
つけられたのだと云はれたとき
どうあなたは辯解をするつもりです
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