【萩京子・極私的作品解説】
わたしのすきなこなひきさん
詩:マザーグース/谷川俊太郎、曲:林光
林光さんが「音楽教育の会」などの集まりに出かけて行くとき、歌をひとつ(?)作って行くことが多かった。
新幹線で書いた、とか、飛行機で書いた、というような話を何回か聞いたことがある。
新しい歌を作っていくことを約束していたのだろうか?
それとも、別に頼まれているわけではないが、楽しみで作って行ったのだろうか?
その行く先々で、できたての歌が喜びを持って迎えられるとき、それは光さんにとってもうれしい瞬間だったに違いない。なんとも言えないうれしさ。
そういう気持ちが曲に表れている。
そういうとき、光さんは自作の詩で歌を作ることが多かったように思うが、谷川俊太郎さんの詩も多く登場する。
この「わたしのすきなこなひきさん」も、1999年の京都音楽教育の会主催の「こどもとつくる音楽会」でお披露目され、集まったこどもたちが歌った、と記録にある。
谷川俊太郎さんの訳詩によるマザーグースは、どれもおもしろい。
光さんのマザーグースの曲も何曲もあるが、どれもおもしろい。
私はこの曲の「こなまみれ」のところで、突然ヨーロッパからアジアへ連れて来られるような感覚になる。
「こなまみれ」以外のところは、ヨーロッパの民謡の香りがする。
美しい水車小屋のむすめなんだろうなあ。この「わたし」は。
金と銀をみんなあげたいな、ということばも新鮮。
マザーグースっぽいところだ。
こなひきさんにお金持ちになってもらって、早くわたしをお嫁にもらって、ということなのかな?
歌のメロディーもピアノもシンプルでとてもきれいで、ユーモアもあって、とても楽しい曲だ。
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わたしのすきなこなひきさん
つむじまがりで こなまみれ
わたしのすきな こなひきさん
うわぎはすっかり こなまみれ
かおもまっしろ こなのいろ
キスさえいつも こなだらけ
もしもわたしのポケットに
きんとぎんとがつまっていたら
みんなみんなあげたいの
わたしのすきなこなひきに
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やさしかったひとに
原詩:野長瀬正夫、詩:山元清多、曲:林光
この曲は、1997年に上演された黒テント公演『夕日の老人ブルース』の劇中歌だった。
私はその『夕日の老人ブルース』を見ている。
とてもおもしろかったことは覚えているのだが、この歌がどういう場面で歌われたのか、忘れてしまった。
この歌は完全にお芝居から独立して、その後たくさんの人に歌われるようになった。
この詩は、主人公(わたし)を男としても、女としても読むことができる。
私は直感的には女の側で読みはじめてしまうのだが、「喪服のあなた」ということばが出てきたとき、その「喪服のあなた」は女の人のような気がして、では「わたし」は男なのかな?となる。
男の人が歌うのを聞いても、女の人が歌うのを聞いても、途中で物語が反転したりする。
聞き手としても、またピアノを弾くことでも、この歌と何十年もつきあっているけれど、いつまでも確信が持てないおもしろさ。
自分が先に死んで、葬式に「やさしかったひと」が来てくれると思っているところもおもしろい。
そして「儀礼的な軽い会釈」ということばも印象的。
ことばは尖っているが、そこのメロディーがそれまでより一層落ち着いてやわらかく語るように動くので、嫌味はあまり感じられない。
が、この詩は、一通残っていた手紙も燃やしてしまう、という強い意志に貫かれているし、実はかなり決然とした強い歌なのかも知れない。
でも、山元清多さんと光さんのやわらかさと深みのおかげで、別れのつらさやきびしさはソフィスティケートされていて、「さようなら」があまり宣言にならないところがステキな歌だと感じる。
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やさしかったひとに
さよなら やさしかったひとよ
引出しの奥に
燃やしてしまったはずの
あなたの手紙が
一通はいってました
さよなら やさしかったひとよ
色褪せた柿の葉と
この手紙も燃やします
あなたがだれなのか
これでだれも知らない
さようなら やさしかったひとよ
時は過ぎ 日は去り
やがてわたしが灰になる日に
喪服のあなたを見ても
ひとは気付かず
あの儀礼的な軽い会釈をして
黙って通り過ぎていくことでしょう
さようなら やさしかったひとよ
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