朝どれソング

朝どれソングとは...

ソングを毎月7日に2曲ずつ、二年間かけてお届けします。まずは萩京子作曲のソングを24曲、そして林光作曲のソングを24曲。とれたてのみずみずしい食べ物のように、みなさんのエネルギーの源になることを願って。

今月のソング(2020年6月7日公開)

♪ものがたり〈全員〉/♪夢〈男歌役者〉

映像:和久井幸一

萩京子・極私的作品解説

ものがたり
詩:佐藤信、曲:林光

この曲が作曲されたのは1970年。その10年前の1960年6月15日、日米安全保障条約に反対する闘争のなかで、機動隊との衝突で東京大学の学生だった樺美智子さんが亡くなった。
「流された血」とは樺美智子さんの死を指す。
とともに、その死が意味するところに連なるさまざまな戦いの中で流された血を指しているだろう。
ひとりの死、ひとつの犠牲をただ「美しい物語」としてしまい込んでしまってはいけない。
語り継ぐだけでもいけない。
何をはじめなくてはいけないのか。
1960年から1970年という10年をどうとらえ次の時代に進むか。
この詩は「ものがたり」の二面性を含みつつ、わたしたちに「これからどうする?」と突きつける。
だから、1970年から半世紀もたってしまった「いま」も、このうたからさまざまなことが喚起される。

樺美智子さんの死から10年たった1970年もまた、安保条約の自動延長に反対する70年安保と言われる激しい闘争が起こっていた。
ふたつの安保闘争に挟まれた1960年代は、反戦運動、労働運動、学生運動などが活発な時代で、さまざまなカウンターカルチャーと言うべき新しい文化が生まれた時期でもある。
多くの演劇人、音楽家が、社会に動きに関わりを持つ表現を模索していた時代。
演劇は劇場や公共ホールから飛び出し、地下に潜ったり、テントを張ったりし始めた。
音楽ではフォークソングが時代を映し出す役目を果たし始めた。
1960年代は林光30代。作曲家としての大きな転換期を迎えたと思う。
どのような音楽で「いま」をとらえるか。
20世紀の音楽・・・音楽の書法としての新しさを追求することをやめたわけではない。
だが映画、演劇、労働運動や教育現場との関わりに精神的な軸足を置いて、「うた」を作り続けた時代。
この時代の模索と格闘の結晶が後のすべての林光作品の核となっているように、私には感じられる。
反戦歌などのプロテストソングを光さんはたくさん作曲しているが、1960年以前に作曲された曲と1970年以降に作曲された曲は、まったく趣が違っている。
アマチュアのための音楽は、覚えやすいメロディー、シンプルなコード進行、くっきりしたリズムであろうとするしばりを光さんは自ら解いた。
1970年に作曲されたこの「ものがたり」がそれをよく表している。
歌う人、聞く人を鼓舞するのでなく考えさせる歌。

合唱版は手書き楽譜の末尾に1979年7月27日の日付がある。
同年12月26日にこんにゃく座が合唱版初演をした、と出版楽譜に書いてある。
あのときの演奏が初演だったのか・・・と不思議な気持ち。
合唱版手書きの楽譜は前奏なし無伴奏で始まっているが、別に「ものがたり前奏」と書かれた1枚の楽譜が私の手元にある。「前奏無しではいきなり歌えない」と言って書いてもらったのだろうか?
だがこの曲は前奏無し無伴奏で始まるのがだんぜん良いと思う。

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ものがたり

流された血に そそがれた涙
その涙が たとえ河となろうと
美しい物語りがひとつ
生まれるだけ
 ああ 物語りの日々
 ながい あたたかな十年

流された血が いつのまにこごり
そのあかさが たとえ忘れられても
美しい物語りが 一つ埋もれるだけ
 ああ 物語りの日々
 ながい あたたかな十年

流された血の 消えてゆく記憶
そのむなしさ けしてくり返すまい
美しい物語りを 一つ捨てさるとき
 ああ 物語りの日々
 ながい あたたかな十年

終りの日に 俺たちは始める
始まりの日に 俺たちは終る





詩:キム・ジハ、訳:井出愚樹、曲:林光

1979年、黒色テント公演『ブランキ殺し上海の春』79年版の劇中歌として作曲された。
韓国の詩人キム・ジハ(1941~)が獄中で書いたとされる詩の一節に作曲されている。
作曲されている詩はたった4行だ。

   夢を見る
   鳥になる夢を
   鳥になってどこかへ
   飛んでゆく夢を狂おしく見る

このことばのシンプルさ。
音の動きもとても静かで、深く深く心の奥に入って行くようであり、また高く高く遠くへと広がって行くイメージも感じさせる。
印象深く、一度聞いたら忘れられない。
どの歌とも似ていない。
奇跡のような歌だ。
まったく劇中歌らしくないこの歌はいったいどのようにできているのだろうか。

旋律はいわゆる長音階、短音階でできておらず、いくつかの旋法を行き来している。
何調の曲だろうか、ということの答えを出すのが難しい。
曲の終わりから単純に考えるとH:Durに行きついているように見えるが、私はE:Durを夢見て、そのドミナントで終わっているという仮説を立ててみた。
となると曲の始まりはサブドミナントで、不安定なところから始まって中心を探し求める調性の物語としても読むことができる。
声部の動きはどうなっているか。
はじめの2行は単旋律で歌われ、「鳥になってどこかへ」は2声になる。
この2声はすべて3度で動く。
「飛んでゆく夢を」は再び単旋律となり、「狂おしく見る」で再び2声となる。
正確に言うと「くるおしく」のはじめの「く」は2声になっていない。
「る」から2声になるのだが、この「くるおしく」の「る」の音がこの曲の一番高い音になる。
「狂おしく」というところがこの詩の、そしてこの曲の要になっている。
この「る」を聞くと、心が締め付けられる。
「るおしく見」の2声の幅は4度で、とても緊張感がある。
(歌を4度でハモらせるのは、作曲上注意深くやらなくてはいけない。)
「見る」の「る」で3度になったとき、願いが叶わない現実に対しての絶望ではなく、「夢を見続ける」信念のようなものが透明感を伴って伝わってくる。
そのあと、「夢を見る」と「鳥になる夢を」が低声部先行でかけあいになる。
かけあいなのだが、音がしりとりのようになっていて、どんどん下降してゆく。
「鳥になる夢を」をあとから歌う高声部が「夢を」のところで低声部をともなって音を上に引き上げる。
それが3回繰り返されて、3回目は伴奏の刻みがなくなり、曲は終わる。

こんな分析をしても、この曲になぜ深みと広がりがあるのかは、残念ながらわからないのだけれど、「朝どれソング」一応の最終回記念として、書いてみました。

2018年7月7日よりはじまりました月一回の「朝どれソング」。
萩京子ソング12ヶ月、林光ソング12ヶ月、計24回お聞きくださり、そしてお読みくださりありがとうございました。

「朝どれソング」の新企画は、極秘準備中です。
ご期待ください。

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夢を見る
鳥になる夢を
鳥になってどこかへ
飛んでゆく夢を狂おしく見る


♪ゆめ売り/♪明るいほうへ2018-07-07
♪あくび/♪電車2018-08-07
♪わたしのお月さま/♪枯れたオレンジの木のシャンソン2018-09-07
♪餞/♪朝に晩に読むために2018-10-07
♪唄/♪電線工夫2018-11-07
♪うたかたのジャズ/♪青いカナリア2018-12-07
♪空をかついで/♪小さな草2019-01-07
♪しあわせはこぶ銀のロバ/♪暗い柳の木立のかげ2019-02-07
♪ねむり/♪馬2019-03-07
♪ジャストマイサイズ/♪帽子屋さんの子守歌2019-04-07
♪水はうたいます/♪ひびかせうた2019-05-07
♪雨/♪わたしの好きな歌2019-06-07
♪石ころの歌/♪告別2019-07-07
♪魚のいない水族館/♪舟のうた2019-08-07
♪赤い魚と白い魚/♪ちょうちょうさん2019-09-07
♪花のうた/♪ぼくがつきをみると2019-10-07
♪わたしのすきなこなひきさん/♪やさしかったひとに2019-11-07
♪銀河の底で歌われた愛の歌/♪サザンクロスの彼方できこえた父が息子にあたえる歌2019-12-07
♪グランド電柱/♪だれが鈴をつけにいくのか2020-01-07
♪舟唄/♪影とまぼろし2020-02-07
♪つまさききらきら/♪月の船の歌2020-03-07
♪運命のジャズ/♪旗はうたう2020-04-07
♪壁のうた/♪行ってしまったあんた2020-05-07
♪ものがたり/♪夢2020-06-07