◆オペラ『グスコーブドリの伝記』出演者インタビュー その4 花島春枝
2016-08-03

花島春枝
花島春枝(はなしま・はるえ)
1998年入座
東京都出身
静岡大学卒業、横浜国立大学大学院修了

オペラ『グスコーブドリの伝記
おかみさん、ポシャポシャ 役

◆こんにゃく座に入ったきっかけ

花島/小学生の時から歌を習っていたのね。その時の先生が藤原(藤原歌劇団)関係の人だったからよく藤原のオペラを観に行っていたんだけど、言葉もよくわからないし、寝ちゃうわけ。自分が歌うのと、それを人に観られるのは別世界の話だなと思っていた。
それで高校生の時にたまたま手にした『ハムレットの時間』のチラシがすごく綺麗で、毎週行っていた祖母の家の近所にある俳優座劇場での公演だし、これは運命だ、観に行くしかない、と思って。始まったらもう、すごい言葉の洪水! 今まで観ていたオペラは、例えば「はなびら」っていう言葉を歌うのに、すごい時間がかかるわけ。でもこんにゃく座のオペラって、うわーって機関銃のようにしゃべるでしょ、歌詞もそうだけど、セリフもすごい。圧倒されてしまって、「はぁぁ、こんなのが世の中にあるんだっ!」って、すぐにファン(笑)。
それで大学は、声楽専攻で教育学部に入って、ちょっといろいろあった時に先生から「あなたはいったい、何をやりたいの」て聞かれたの。その時に「こんにゃく座がやっているようなオペラがやりたい」って。そこで初めて口にした、その瞬間が最初の自覚かな。先生には激怒されて「あんなのはオペラじゃないんです!!」ってみんなの前で怒鳴られて、大学生なのに、泣くという(笑)。
だから、こんにゃく座に入りたかったんだけど、口に出せない感じで。4年生の時進路でずいぶん悩んで具合悪くなっちゃったの。その時、やりたいことやらないと、病気になって死ぬんじゃうなって、思って。でもすぐにまわりには言い出せないので、とりあえず大学院に進もうって。
そんな時、ソング集CD「ぼくたちのオペラハウス」が発売になり、近所のタワレコで無料ライブがあるという。インストアライブ! これはもう行くしかないでしょ!(笑)はじまる30分も前から待って、一番前で見て、大感激して。出演していた座員の人に、それは井村さんだったんだけど「こんにゃく座に入るにはどうしたらいいんですか。オーディションとかあるんですか」て聞いたら、「あります」てそれだけ言われて、それ以上何も教えてくれなくって(笑)。あとで学校に行って、よくよく見たら、オーディションの案内が来ていたの。それで、この一回だけは受けてみようって。
でもすっごい先生たちに説得された。私いつも本番に弱いわけ、緊張しすぎて。歌が好きだったり、習いに行った時にいいねって褒められても、そんな人はいくらでもいて、プロとしてやる人は人前に出たときに輝くものだから、人前に出るのがいやだったら、趣味でやっといたほうがいい、って。絶対、性格的に向いていないから、って代々の先生たちに言われた。言われたんだけど、それよりも憧れのほうが強かったんだね。
だってさ、私はいつも緊張しているから青ざめた顔で歌っているのに、ぜんぜん違う世界があったわけ。「楽しそう!!」って、「ああいうふうに歌えたらな」っていう理想型を見てしまったんだね。強烈すぎてね。向いていないけどやりたい!って思わせるくらい。

◆宮澤賢治作品との出会い

─賢治作品との出会いというのは。

花島/小学校の教科書に載っていた「なめとこ山の熊」が最初。国語の教科書はいつも全部読んでいて、悲しいお話大好きだからやりたかったんだけど、授業では取り上げられなかった。次が「やまなし」。あれが、くせ者で。ある日の授業で、このお話の主題を書きなさいって課題が出て、先生に見せてOKをもらったら帰れるっていうことになったわけ。私は本が好きだったから、自分ではそういうのが得意だと思っていたのに、いっこうにOKがもらえなくって。もう宮澤賢治の言っていることは私にはわからない!って、なって。感覚的には、すごい好きだったのに、その時の経験で一気に宮澤賢治苦手意識がうまれ、私にはこの人の作品は読み取れないのではないかっていう恐怖心になった。得意だった国語の初めての挫折だった。
その後時間が経って「永訣の朝」とか「春と修羅」とかも読んで、難しいという思いはあるけど、苦手意識はだんだん薄らいでいったかな。

◆オペラ『グスコーブドリの伝記』

─「グスコーブドリの伝記」は読んでみてどうだった?

花島/読んで、パッと思い浮かんだのは自己犠牲っていう言葉だった。
それでいろいろ考えてみたんだけど、今の時代ってすごく個人主義って言うか、たとえばジャーナリストが戦地に行ってテロリストに捕まったりすると、自己責任とか言われちゃうじゃない。危ないとわかっているところに行くほうがバカだみたいな、言い方をする人もいるけど、あれにはすごく違和感がある。実際いま悲劇がおこっているような紛争地帯とか戦地のことを、離れたところにいる私たちは一切見られないわけで、その真実を伝えなきゃと思って、伝えることが必要だと思ってその人たちはたぶん行くんだよね。ちょっとそれがブドリも似ている感じがして。
その人たちは、今あなたたちのためにっていうより、この後の世界が良くなるためにはそういう悲劇をみんなが知るべきだって思って、危ないってわかっていても行くんだと思う。結局ブドリも、今すぐどうこうっていうより、自分は子どもをつくらなくても、自分の妹とか、その家族とか、一緒に働いている人とか、その子孫がよくなるために、自分が行くのがいいことだって、いろいろな選択肢のなかから選んだんじゃないかと思うと、すごくリアルな話に見えてくる。
じゃ、自分にできるのかっていうとわからないけど、そういうことが必要なことはあるんじゃないかな、と思う。そういう意味では宮澤賢治の作品って、将来のことを見据えて生きている人間が描かれているのがすごいなと思う。
「なめとこ山の熊」も、今食べることだけじゃなくて、食べたものがその次の何かに繋がっていく。そういうことが描かれていて、それが、ただ可哀相とか、ただ立派だ、ていうんじゃなく、それぞれ違う形であっても、世の中や、次の時代に残していけるものが自分にもあるかな、とか、あなたにもあるかな、とか、そういうふうに思えるような作品にできたらいいな、って思う。
そういうことがお説教臭くなく伝わるように、音楽、寺さん(寺嶋陸也さん)の音楽があって、どう表現するか。具体的に不思議なものがいっぱい原作に出て来るから、それをあえて実際の物とかじゃなくって、身体とか声とかで表現できたら、想像力のふくらむ楽しい作品にできるんじゃないかな、と思うんだよね。自分にできることは何かなとか、観た人がふっと考えられるような一瞬が伝えられたらいいな。

花島春枝
2014年 オペラ『セロ弾きのゴーシュ』楽長役(右から二番目が花島春枝)

(聞き手・田上ナナ子/こんにゃく座制作)
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