◆うたものがたり『よだかの星』出演者インタビュー その6 武田茂
2018-03-05



オペラシアターこんにゃく座 歌役者
武田茂(たけだ・しげる)
2010年再入座。茨城県出身、明治大学中退。


テーマ:「読書」

─しげどん(武田茂)は、いつも本読んでるイメージなんだけど、いつもどういう本を読んでるの。

武田(以下、武)/僕が好きなのは、政治思想みたいなものなんだよね。政治学科だったからね。

─小説じゃないんだ。

/小説ももちろん好きで読むんだけど。日本はこれからどうなっていくんだろう、とかね。

─昔から本を読むのが好きだったの?

/そうでもないな。子供のころは、おばが家に来るたびに、名作全集みたいなのをちょこちょこ持ってきて。兄貴はよく読んでいたけどね。僕は時々読んでは熱中してばーっと読んだりはしていたけれど、自分からすすんで本を読むというのはあまりなかったかな。外で遊ぶほうが好きだったからね。

─いつ頃から読むようになったの?

/大学で東京に出てきてからかな。いまでもそんなに読んでいるほうではないと思うんだけどね。読みたい本はたくさんあるんだけど、疲れてて眠っちゃうことが多いね。

─政治の本っていうのはどういう分野の?

/それこそ安保のことだったり、パレスチナだったり、差別のことだったり。政治思想のものだったり、いろいろだよね。

─日本に限らず、世界各国のもの?

/うんうん。いまおもしろいと思うのは半藤一利さん。あの人の書いている本と、岩波の歴史の本とか読むと、解釈がちょっと違ったりして。半藤さんなんかはいろいろと資料にあたってその実証的なところから考えているところがある。かたや岩波の人たちは鋭いんだけど、ある思想に偏ったところからきていてるように思えて、どっちが本当の世の中なんだろうか、って思う。読んでると、昭和という時代のことだって、まだわからないことがたくさんあるもんね。そういうことがあったのか、そういうこととつながっているのかってね、そういうのがおもしろいよね。それでなるべくそういうのを読むようにしている。現代人として。

─それは自分の思想とか志向に大きく影響している?

/しているね。学生のころデモとかいろいろやっても、報道はされないんだよね。ぜんぜん報道されないわけ。そうなると、これ(デモ)やってどれだけ影響があるのかなって思って。捕まったりするやつがいるのにね。その時ぼくはアマチュアの芝居をやっていたんだけど、学生運動やっているやつに誘われていろいろと話を聞いた時に、演劇の場っていうのがひょっとしたら、いろいろな主張をするのに大きな力があるんじゃないかって思ったんだよね。

─大学で政治学を勉強しようと思ったのは、なんで。

/それは、なにも知らなかったからじゃないかな。

─政治に興味があったの?

/興味があるっていうかなぁ。僕はいなかの学校で、勉強なんかぜんぜんしなくて、高校時代はバレーボールをやっていたから、疲れてきって授業中寝ているような生徒だったからね。自分が何をやりたいのかとか、大学のことなんて考えていなかった。ただ、“ジャーナリズム”とか、“青雲の志”とかそういった言葉だけ聞こえてきて、そういうのにひかれて、東京に出てくるんだけど、いざ出てくるとさ自分がなにやりたいのかわからなくて。映画ばっかり見ていたりね(笑)。ほとんど大学にはいかなかったね。それでいつの間にか芝居の世界に入っちゃって、ブレヒトをやったり。

─こんにゃく座に入ったのは、お兄さん(武田洋さん。元座員)が入ってたからでしょ。

/そうだね。僕はぜんぜんこんにゃく座のことを知らなかったんだけど、大学から離れてアマチュアの芝居をやっていたから、この先どうなるかなって不安があったのね。でも、その不安がある中でやっているのが、おもしろいんだけどね。それで、そうしたら兄貴がいつのまにか、こんにゃく座に入っていて、「今度『白墨の輪』をやる。合唱の人を探しているから、茂、手伝いにこい」ってことになって。それが1979年。芝居は好きで、歌はもともと機会があればうたいたいなと思っていたから行ったわけ。そうしたら題材が僕の好きなブレヒトで、こんにゃく座は、歌と芝居両方なんだよね! そこで僕がやりたいことがマッチした。ああいいな! と思って。現場には林さん(林光)がいて、宮川先生(宮川睦子さん。こんにゃく体操指導者)が見に来ていて、広渡さん(広渡常敏さん。劇作家、演出家)がいて。もう「出会った!」という感じ。ものすごい気に入ってそのまま入ったんだ。入った後は、大変だったけどね。ものすごく仕事量が多かったわけ。ところがいろいろあって、ギャラが遅配、遅配で。家賃なんて払えないから、旅から帰ったあとの2週間くらいの休みの間は、稽古場に寝泊まりしちゃってね。

─こんにゃく座の初期のころだね。

/僕は音楽の勉強をしてこなかったし、研修期間があるかなと思ったら、ほとんどないわけ。入って2週間後くらいには、もう旅に行っている(笑)。それからしばらくしてこんにゃく座が、いろいろな事情で開店休業状態になってしまって。その時に、志村さん(志村泉さん。ピアニスト)が、とにかくおもしろい、というので、僕は黒テントの「赤い教室」に通うことにしたのね。自分の中で、あれがうまくいかない、これがうまくいかないっていうのがたくさんあるじゃない。それが授業で、少しずつ、あ、そういうことなのかってわかってくる。わかってくるっていうのは結局、自分が何もわかっていないからできないんだってことなんだけどさ。でも赤い教室も、こんにゃく座が再開したから結局半年くらいしか行ってないんだけどね。でも卒業公演の時は仲間が「武田、一緒にやろう」って声をかけてくれて、それは出演して。いろいろ勉強になったな。バイトをしながら赤い教室に通って、「こんにゃく体操」に行ったり、小城さん(小城登さん)のところに歌を習いに行ったり、忙しかったけれどね。小城さんからは、「体操に行かなければ、歌はみられないよ」と言われていたからね。宮川先生にもかわいがってもらって。どちらも、ものすごく自分にとってプラスになったよね。それからこんにゃく座が再開したんだけど、昔みたいには忙しくはないわけ。公演は月に何度かあるかないかくらいで。それでまた以前やっていたアマチュアの劇団のほうにも復帰して。

─それでちょっとこんにゃく座とは距離が。

/そうだね。歌の稽古をしたり、こんにゃく体操は一生懸命やっていたけど、気持ちは離れていったかな。それで、今だから笑い話だけど、ひとつ象徴的だなと思うのは、アマチュアの劇団に復帰して、その稽古が終わって飲み会に行ったときにさ、お店の階段をのぼっていて、ふと手帳を見たら、なんとこんにゃく座の本番だったわけ。

─その日が?

/そう。もうびっくりしてさ、あわてて事務所に電話した。そうしたら、たまたましけたさん(松下武史さん。元座員)が空いていて、急遽出演してくれてどうにかなったということだったわけ。もう、それから二月くらいは口をきいてもらえなかった。今思えば、なんでそういうことになったのかなと思うと、やっぱり気持ちが離れていたってこともあったのかなって思う。でもね、あの時は心臓がとまったよ。
ぼくは、音楽の勉強をしてきていないから、こんにゃく座のオペラも全部芝居の間でやっちゃって、テンポとかばらばらになっちゃうわけ。兄貴なんか傍から見ていて「そんなのオペラじゃないよ」とか言われて、喧嘩するんだけどさ。それで先輩たちがやっているのを見ると、やっぱりうまいわけ。自分の時はぜんぜんなのに、先輩たちがやると観ている子供が笑うわけ。もうそれが悔しくってさ。だから最初はほとんどしけたさんの真似をしようとしていた。なかなかできないけれども。でもキャラクターや声の質が違うから、真似てもダメなんだって気づいて。やっぱり自分の歌をうたわないとダメなんだって。

─しげどんは、1980年から1984年までこんにゃく座に在籍して、その後2010年に再入座っていう感じになったわけだけど、最初にこんにゃく座をやめてからはどこかに所属したりしていたんだっけ。

/フリーだったね。古城さんが「オペラ工房」っていうのを作っていたからそれに参加したり、あとは古城さんが仕事を紹介してくれて、他の劇団の旅公演でいろいろ行ったりしていたね。あとは加藤さん(加藤直さん。演出家。こんにゃく座2月公演喜歌劇『天国と地獄』など、こんにゃく座との協働多数)がいろいろと声をかけてくれて。ミュージカルとかにも出て、いろいろな役をやらせてもらっておもしろかったけど、歌を勉強してる身としては、歌的に物足りないわけね。芝居はおもしろいんだけど。もっと専門的な歌がうたいたいなって思って。でもその欲求は、自分でリサイタルをするとかでしか解消されないとも思うんだけどね。まあ、やめてから再入座するまでの間も、『ハムレットの時間』、『魔法の笛』、『金色夜叉』とか、こんにゃく座のオペラには客演として出演してはいたんだけどね。

─そんないろいろな活動の中で、たまにこんにゃく座にも出演しながら、やっぱり自分が一番やりたいことに近いのはこんにゃく座かなと思って、こんにゃく座に戻ろうと思ったの。

/そうそう。こんにゃく座はね、いまはやめているけど、力がついたら戻るところだなというイメージはずっとあったのね。ただやっぱり、宮川先生から受け継いで、こんにゃく体操を教える立場になったからね。大沢先生(大沢喜代さん)が週に二回、文学座の付属演劇研究所でずっとこんにゃく体操を教えていたんだけど、体調を崩されて、でも教えるのをやめるわけにはいかないってことで、「茂ちゃんちょっとやってよ」てことになって、僕が教えることになったのね。そういう環境になって、これはもう舞台を続けていられないなって。こんにゃく体操は、教えることから学ぶこともたくさんあるし、一年間で生徒たちがかわっていくのがとてもよくわかるわけ。彼はあの体操が足りていないなってこととか、あの人にはこういう体操が必要だなってこととかがすごくよくわかって。最初に研究所に入った時に正面と横からの前身の写真を撮って、卒業するときにも正面と横からの写真を撮って、卒業の時に贈るわけ。そうすると体が変わっているのがわかって、そういうことも全部自分にとっても勉強になった。僕はこんにゃく体操が好きだし、教えることはとっても勉強になるんだけど、でも、これ(こんにゃく体操)を教えることだけをやりたいわけじゃないよなって悩むわけ。それだけやっていると。

─なるほどね。それで、そんなときにこんにゃく座からまた出演依頼があって。

/そう。『フィガロの結婚』のバジリオをやってくれっていう話があったわけ。それで引き受けて出演したんだけど、それがもう、ものすごい楽しかったわけ(笑)。稽古場に行くのがなんか、晴れやかな顔になるのが自分でもわかる。やっぱり僕は歌をうたって、舞台に立っているのが好きなんだなぁって実感して。それで、戻りたいと思って申し入れて、2010年に復帰して今に至るってことだね。


ちょうどいま読んでいる本。「良寛」水上勉・著。

(聞き手・田上ナナ子/こんにゃく座制作)
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