◆3 楽士のみなさまに聞いてみました! 2018-01-31
こんにゃく座オペラは、ピアノのみ、ピアノと弦楽器、木管、金管、打楽器、などなど、作品によって使われる楽器がいろいろです。よく「演奏者のみなさまも座員ですか?」という質問もいただくくらい、こんにゃく座の本公演、旅公演など、さまざまな活動をともにしてくださっています。
こんにゃく座のオペラは、指揮者がいません。しかし、舞台は生ものですので、機械のようにどんな時でも同じようにはいきません。個性的な歌役者たちが舞台で安心して、生き生きと歌えるのは、軌道修正したり、背中を押してくれたり、それはもう素晴らしい絶妙なセンスで音楽を進めてくださる楽士のみなさまたちのおかげです。
今回は、クラリネット・
橋爪恵一さん、ファゴット・
前田正志さん、ヴァイオリン・
手島志保さん、
山田百子さん、ピアノ・
寺嶋陸也さん、5名の楽士のみなさまが登場します。こんにゃく座オペラでこれまでも何作品もお世話になっているみなさまに、あらためて聞いてみました。
写真:『天国と地獄』稽古場より。撮影・姫田蘭
●橋爪恵一 《クラリネット》
【プロフィール】
東京藝術大学器楽科卒業。
オペラシアターこんにゃく座をはじめ様々な劇団との共演など多様な音楽シーンで活動。ユニークな音楽創りで知られたカメレオン・オーケストラや音楽とアートのコラボレーションを基に音楽会を企画するアーティスト集団カーニバルカンパニー主宰。
2004年にはシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」を藝大新奏楽堂にてパントマイム/ヨネヤマママコ+音楽の構成で企画主催、高い評価を得た。2005年2006年アフリカザンビアでの音楽指導、2006年からは「MUSIC&ART in 立川」と題したコンサートを読売新聞と共同主催にて開始、続行中。活発な音楽活動を行っている。
CDにクラリネット三重奏曲集「ポートレート」、世界名曲集「カメレオン」、日本の心「ネオジャポニズム」がある。
①なぜ、この楽器を選ばれたのでしょうか?
高校生の時に吹奏楽部に入部して、最初はメロホン(今は無きホルンの教育楽器)を当てがわれました。しかしサム・テイラーに憧れていた私はテナー・サックスをやりたいと申し出たのです。しかし何分にも田舎の学校故楽器が1台しかなく、先輩が使用していた為駄目でした。そこで先輩が一言。サックスもクラリネットも吹く仕掛けは同じだからクラリネットやっていることにしたら?素直な私はなるほどと思い、現在に至ります。
②演奏家になった理由、きっかけはなんでしょうか?
初めてレッスンにいった時に、故千葉先生から、演奏家になることを進められた。
③こんにゃく座との出会い、初めてこんにゃく座で演奏したきっかけはなんでしょうか?
学校を卒業して暇な頃、先輩のクラリネット奏者森田さんのダブルキャストを頼まれて「
フィガロの結婚」の公演をお手伝いして以来のお付き合いです。
④こんにゃく座での思い出、記憶に残っている出来事はありますか?
かなり前になりますが地方公演に行った時にホテルに行ったら、ここはどう見てもラブラブホテル?
⑤今、一番興味のあることは?
最近あちこちの筋力の低下を感じております。あまり負担無く、筋力アップを出来る方法を探してます。
⑥今後の活動予定
2月24日「アーティスティックスタジオ・ラララ」にて画家の小林裕児さんのライブパフォーマンスと共に、トリオダンシュの演奏会をします。
【こんにゃく座での出演作品】:クラリネット
●前田正志 《ファゴット》
【プロフィール】
東京藝術大学別科、航空中央音楽隊、東京藝術大学管弦楽研究部講師、東宝オーケストラなどを経て現在はレコーディング、オーケストラ、室内楽等を中心に活動。これまでに映画・テレビ音楽などの録音参加作品は700本以上にのぼる。アルバム「Wonderful Fagotto」発売。2012年、2016年リサイタルを開催。ファゴットを故・森正彦、故・大畠條亮、故・三田平八郎の各氏に師事。
①なぜ、この楽器を選ばれたのでしょうか?
「前田物語・始まり始まり~」
中学高校と吹奏楽部ではトロンボーンを担当していたものの、木管楽器がやりたくてたまらず、時々部活の合間を縫ってクラリネットを楽しんでいました。
ある年のコンクールで他校の生徒達が楽器を持って目の前を通り過ぎるとき、ふと、マカ不思議な形状の、何とも言えない木管らしい色合いの楽器に目が釘付けに(あれがファゴットか…)。
その後、家庭の事情もあって就職先を探す段になり、当時奈良県にあった遊園地の吹奏楽団のオーディションを受けることに。クラリネットで受験し見事合格!となったときに閃いたのは(このチャンスに心機一転、新しい楽器を一から先生について勉強し直したい!)ということでした。過日に見た印象深いあの楽器のことを思い出し、その場でそこの隊長さんに「ファゴットを一から勉強したいのですが。」と話したら何と!「良いよ。」と言ってくれたのです。当時そこのバンドには無かった楽器もわざわざ調達して頂き、先生も紹介してくれて…先輩方にもいろんな事を教えてもらい、今では考えられない夢のような懐かしく暖かい思い出です。
②演奏家になった理由、きっかけはなんでしょうか?
前述のバンドは入ってまもなく「近い将来、このバンドは(会社の方針で)解散になるから、早く次を考えた方が良いよ。」と言われ、早くも次の就職活動をするハメに。
とにかくファゴットが吹ける環境を求めて、オーケストラの裏方見習い、楽器製作などをするうち、航空音楽隊がプレーヤーを募集していると知り早速応募。
オーディションにより合格となり、立川市にある航空中央音楽隊に配属されました。そのころからプロとして一人前になりたいと思うようになり、藝大別科に通いました。
その頃の師匠・大畠條亮氏に「今度藝大オケ(講師によって編成されるオーケストラ)のポジションがあいたからオーディション有るけど、受ける?」と誘われ即答!海外留学組や現役オーケストラプレーヤーらがひしめく中、奇跡的に合格となり、そこから正真正銘、一人の演奏家としての活動が始まりました。
クラシックの演奏家は、音楽大学を出て、あるいは留学などで経験を積んで…というパターンが普通なので、僕のように行き当たりばったりで演奏家にたどり着いたというのは他に居ないんじゃないでしょうか(笑)。
③こんにゃく座との出会い、初めてこんにゃく座で演奏したきっかけはなんでしょうか?
知り合いのファゴット吹きから「こんにゃく座という団体で次の公演でファゴットを一人捜してるんだけど、スケジュール、どう?」と誘われたのが「
森は生きている・オーケストラ版。2001年初演」でした。
最初は様子もよく判らず、目の前に林光先生が居るだけで緊張したものでしたが、その時は単発のお仕事、というとらえ方だったのが、しばらくしたらまた次の演目にファゴットがあって声をかけて頂き…いつの間にか十数年以上のおつきあいになりました。
④こんにゃく座での思い出、記憶に残っている出来事はありますか?
「森は生きている・オーケストラ版」や「フィガロの結婚」での旅公演は楽しかったですねぇ。毎晩のように本番後は楽士仲間と、時に座員も混じって反省会?をしてました。
でも何と言っても忘れられないのは、「変身」ヨーロッパツァーで作者カフカの生地・プラハでの公演を経験できたことでしょうか。格別に厳粛な気持ちになりましたし、ウィーンやプラハの町並みも素晴らしかった。(ビールも!)。そういう機会を与えて頂いたこんにゃく座には本当に感謝しています。
「変身」の全公演終了後に、林さんと萩さんに、僕の初アルバムのために曲を書いて頂きたいとお願いをしました。それは「萩京子/三つの悲歌」と「林光/ソナチネ風夜曲」という、素敵な曲となって結実し、僕の宝物になっています。
⑤今、一番興味のあることは?
だんだん年と共に体が簡単に言うことをきかなくなってきて、以前は出来たはずの曲が吹けなかったりもどかしい事も有りますが、地道にリハビリ?して、まだまだ少しでも新しい事が出来るようになりたいと。
特に最近は少人数の室内楽が好きで、そういう機会を増やすようにしていて、そのための新しいレパートリーなども開拓中です。
⑥今後の活動予定
2月24日(土)にクラリネットの橋爪さんと木管トリオ、3月11日(日)つつじヶ丘の「光源寺・香ホール」で木管五重奏のリヒト(光)というコンサート。
4月14日(土)には小田急相模原のおださがプラザで木管三重奏のコンサートをそれぞれ予定しています。
また、西武新宿線・花小金井駅近くの自家焙煎珈琲屋「つの笛」では不定期に「前田プロデュース・シリーズ」と銘打って室内楽のコンサートを行っています。次回は7~8月にフルート、ピアノとのトリオを考えています。
興味のあるかたはHPをご覧頂くかお問い合わせください。
HP
http://www.ne.jp/asahi/maeda/reed/
【こんにゃく座での出演作品】:ファゴット
●手島志保 《ヴァイオリン》(2/9、11、12、16夜、17、18)
【プロフィール】
桐朋学園大学音楽学部卒業。辰巳明子、江藤俊哉の諸氏に師事。ムジカ・プラクティカのメンバーをつとめ、NHK「現代の音楽」「午後のリサイタル」等に出演。MJQのジョン・ルイス氏と”Bach in our Time”にて協演しLDもリリース。1999年、パリ、ローマ、ケルンにて全曲邦人作品リサイタルを開催。2002年、インドにて国際交流基金主催公演に出演。現在、アンサンブル・ライン、メンバー。東京室内歌劇場コンサートミストレス歴任。
①なぜ、この楽器を選ばれたのでしょうか?
幼稚園にて...歌わない子だったので、何か楽器をと、両親が始めさせたのがキッカケ。あまり、意思表示の無い子だったらしく、そのままズルズルと。夢が無くてごめんなさい!
②演奏家になった理由、きっかけはなんでしょうか?
こちらも流れで...なんて残念なワタシ!
③こんにゃく座との出会い、初めてこんにゃく座で演奏したきっかけはなんでしょうか?
確か「
夏の夜の夢」でしょうか。いわゆる音大で学ぶアンサンブルしか知らなかった私には衝撃的でした。力及ばず、って感じでした。
④こんにゃく座での思い出、記憶に残っている出来事はありますか?
多々起こしたハプニング。時が過ぎれば良い思い出として。
⑤今、一番興味のあることは?
終活、断捨離、ダイエット...どれも中途半端なり。
⑥今後の活動予定
カトリック赤堤教会、年3回のチャリティコンサートにてのハイドンSQ全曲踏破だけはなんとか仕上げたいです。あと21曲、つまり...七年。
【こんにゃく座での出演作品】:ヴァイオリン
●山田百子 《ヴァイオリン》(2/8、10、13、14、15、16昼)
【プロフィール】
桐朋学園大学音楽学部、およびドイツ・ケルン国立音楽大学大学院を卒業、芸術家称号取得。ヴァイオリンを小林陽子、篠崎功子、S.ガヴリロフに、室内楽をN.ブレイニン、A.ベルグ Q、Goldberg山根美代子の各氏に師事。2004年からクァルテット・エクセルシオのメンバー。東京藝術大学室内楽講座および同大学付属高校音楽科非常勤講師。
①なぜ、この楽器を選ばれたのでしょうか?
たまたまヴァイオリンを触る機会があり、「やりたい!」と母に言ったそうです。
②演奏家になった理由、きっかけはなんでしょうか?
実は①の記憶が全くありません。その上、ひどいアガリ症で、発表会やコンクールは演奏した事を覚えていないほど毎回緊張し、人前に出ることがまったく不向きだと思っていました。見兼ねた母が身体が覚えるまでやるようにしつこく仕向けてくれ、その後待っていたのは、地獄のような練習の日々。下校後に友達と遊んだことは高校に入るまで両手で数えられるくらいです。ところが中学生の時に、名曲のバッハの無伴奏ヴァイオリン曲に出会ったことがきっかけで、初めて演奏することが楽しいと思うようになりました。それから、記憶を失うほど緊張することはなくなり、舞台でもその場で思ったことを表現しようとする冷静さを持てるようになりました。
③こんにゃく座との出会い、初めてこんにゃく座で演奏したきっかけはなんでしょうか?
ある日「作曲家の萩ですー」というお電話があり、演奏依頼をいただきました。
別のヴァイオリニストの方からの紹介だったそうです。その時に初めて【こんにゃく座】を知り、初舞台は林光さん作曲、加藤直さん演出の「
吾輩は猫である」でした。
④こんにゃく座での思い出、記憶に残っている出来事はありますか?
毎回さまざまな想い出があり、書き出したらキリがありませんが、初めての作品「吾輩は猫である」は私にとって失態の連続でした。それまでグランドオペラしか知らなかった私は、まず演奏家は“楽士”、リハーサルを”稽古”と呼ぶ事、”ダメ出し”という言葉もこの時知りました。
そして演出家や役者さんに何か言われたら笑顔で応えなくてはいけないことも知らず、音楽担当者として音楽的に思ったことをいつもハッキリ言っておりました。
また、照明の調整をしているときは舞台で音出しをしてはいけないことも知らず、舞台監督さんに「百子、うるさい!」と怒鳴られました(笑)。
一番の失態は今でも語り草になっておりますが、お稽古中に「百子、お茶淹れてくれ!」と演出家の加藤さんにいきなり名前を呼び捨てされ、不機嫌になった私は「自分でやってください」と答えてしまい、座員の肝を冷やしたそうな…。
みなさま、その節は大変に申し訳ありませんでした!!!
それ以来、舞台に関わる全ての方々にはその職人技に尊敬の念と愛情を持って笑顔で接するよう努力しております。
⑤今、一番興味のあることは?
断捨離の継続。
⑥今後の活動予定
現在は弦楽四重奏団クァルテット・エクセルシオの第2ヴァイオリン奏者として活動しています。
3月11日(日)14時開演でモーツァルトの喜歌劇「フィガロの結婚」を弦楽四重奏だけで演奏します。会場は第一生命ホール。よろしければぜひお越しください。
http://quartet-excelsior.wixsite.com/schedule/18-3-11
【こんにゃく座での出演作品】:ヴァイオリン
●寺嶋陸也 《ピアノ・編曲》
【プロフィール】
1964年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒、同大学院修了。オペラシアターこんにゃく座での演奏や、1997年東京都現代美術館でのポンピドー・コレクション展開催記念サティ連続コンサート「伝統の変装」、2003年パリ日本文化会館における作品個展「東洋・西洋の音楽の交流」などは高く評価され、2006年にはタングルウッド音楽祭に招かれボストン交響楽団のメンバーと自作を含む室内楽を演奏した。作曲、ピアノ演奏のほか、東京室内歌劇場やびわ湖ホールのオペラ公演の指揮など、活動は多方面にわたる。オペラ『ヒト・マル』『ガリレイの生涯』『末摘花』『グスコーブドリの伝記』、カンタータ『伊邪那岐・伊邪那美』、合唱ファンタジア『オホホ島奇譚』、ヴォードヴィル『タバコの害について』、『尺八・二十絃箏と管弦楽のための協奏曲』、合唱のための『詩篇第49番』『沖縄のスケッチ』、オーボエ・三味線と打楽器のための『異郷の景色』、古代復元楽器のための『大陸・半島・島』、朗読と筝、室内管弦楽のための『貝の火』など作品多数。国内はもとよりヨーロッパ各国やカナダ、アメリカ合衆国などでも演奏されている。
「大陸・半島・島/寺嶋陸也作品集」(ALCD9026)、「二月から十一月への愛のうた(栗山文昭の芸術2/寺嶋陸也作品集)」(VICS61092)「寺嶋陸也plays林光」(NARD5034)など、多くのCDがある。
ホームページ
http://www.gregorio.jp/terashima/
①なぜ、この楽器を選ばれたのでしょうか?
家にピアノがあり、物心つく頃には興味を示したそうで、母から手ほどきをしてもらいました。そのあともいろいろな先生に習いながらずっとピアノを弾き続け、ほかの楽器を習う機会はないまま、それなりに専門的に弾けるようになりました。ただ、ピアノの演奏よりも作曲のほうに興味が強かったので、大学は作曲科に入りました。
②演奏家になった理由、きっかけはなんでしょうか?
音楽を仕事にしたいと、小さい頃から思っていました。
大学への入学とほぼ同時に、林光さんがいろいろなお仕事の手伝いをさせてくれたのがきっかけでした。
③こんにゃく座との出会い、初めてこんにゃく座で演奏したきっかけはなんでしょうか?
出会いは中学3年生のときでした。小学生のときにピアノと作曲を習っていた安達元彦先生が、林光さんを紹介してくれて、光さんはそれなら現場を見てもらったほうがいいからと「
もうすぐ10周年 ぐるぐるまわりの歌」という公演の日に来るように言ってくれて、安達先生と見に行き、楽屋を訪ねたのが、はじめてこんにゃく座を見た時でした。
そのあと時々公演や稽古を見せてもらいましたが、はじめて関わったのは大学1年の時、今は無き新宿モーツァルト・サロンでの《
フィガロの結婚》初演で、編曲を少しやらせてもらいました。
ピアニストとして初めて参加したのは、その2年後、1986年《
セロ弾きのゴーシュ》の初演です。それまでにも、萩さんと一緒に黒色テント68/71(現・黒テント)や東京演劇アンサンブルにもピアノを弾きに行っていたので、こんにゃく座でも、ということになって声をかけてくれたのでしょう。
④こんにゃく座での思い出、記憶に残っている出来事はありますか?
たくさんあります。旅公演での思い出はとくに多いです。
⑤今、一番興味のあることは?
とくにこれといって挙げるほどのものは無いのですが・・
やはり今自分が関わっているさまざまな音楽のことかなと思います。
⑥今後の活動予定、宣伝など。
・2月24日に、虎ノ門のJTホールで、ソプラノの山内房子さんと演奏会をします。
新美南吉の童話や詩に私が作曲した曲ばかりを演奏します。新曲初演もあります。
・三軒茶屋のサロン・テッセラというところで年2回開かれる音楽祭に毎年5月、ピアノ・リサイタルの形で演奏させてもらっていますが、今年も5月20日に出演し、モーツァルト、ベルク、安達元彦、J.S.バッハを弾きます。
・6月3日に岐阜県の大垣室内管弦楽団というオーケストラと共演します。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を弾きながら指揮するほか、林光さんの《森は生きている》をパラフレーズして作曲した《森を歩きながら》という曲を演奏します。
このオーケストラでは、座員の小林ゆず子さんのお父上がヴァイオリンを弾いていて、前回共演したときはコンサートマスターでした。
・ユースクワイア・アルデバランという合唱団のために、《星の王子さま》による合唱のための舞台作品を準備中です。指揮は栗山文昭さん、演出は立山ひろみさんです。曲はまだできていません。初演は東京渋谷の文化総合センター大和田、9月27日です。
その直前の、こんにゃく座の9月の公演(オペラ『イヌの仇討あるいは吉良の決断』)にも出演の予定です。
【こんにゃく座本公演での出演作品】