髙野うるお(たかの・うるお)
1999年入座
東京都府中市出身
国立音楽大学卒業
オペラ『
想稿・銀河鉄道の夜』
大学士、宮澤先生役 ほか
■こんにゃく座賢治オペラについて
―これまでこんにゃく座が公演した賢治オペラは16作品だけど、半分くらいは出演しているかな。作品にはどんな印象がある?
髙野/そうだね、『
北守将軍と三人兄弟の医者』(医者役)は、音楽的な印象がものすごく強いよね。音楽が面白いし、楽器編成もピアノがなくてちょっと変わっていて。『
賢かった三人』(おおかみ、かげろう役)は、おおかみが食われていくときの「あーあーあーあ」の音楽とかも印象深い。あと、出演していないけど『
フランドン農学校の豚』、入座したばかりで照明のピン(ピンスポット操作)をやってピンルームからだから舞台全体が良く見えて記憶に残っているね。『
どんぐりと山猫』(馬車別当)は旅公演だけだったけど、どんぐり役で子どもたちのわーと出てくるシーンは、どんぐりがワラワラいる感じで面白かった。あと、『
鹿踊りのはじまり』(鹿役)は、セットの
簾が効果的で、狭い中なのにこっち側と向こう側との空間の距離感がすごく出てよかった。無言の中で動いている振付も面白かったし、幻想的だったね。『
耕耘部の時計』はすごく短いオペラで、話もどうってことない話なのにずっと印象に残ってる。時計通りに動くひとたち、じゃあ時計が狂っていたらどうなるのって。短いのに批判精神とユーモアもあって、高度なことなんだけど、ああいうオペラがうまくできたらいいよね、あれを下手にやってしまったらどうしようもなくって、あの短さで観た後なんだかわからないけど、ものすごく面白かったねってなれたらすごくいいね。
―賢治オペラは、ト書じゃないけど情景描写を説明したり語ったりするコロス役が重要だけど、どういうことを心掛けているの?
ただの説明する人ではつまらないし、だからといって登場人物のようにもできないし、居方が難しいよね。
髙野/そうだな、自分といえば自分なのかもしれないが、自分がその情景を感じている、感じたことを言葉として発しているってことかな。説明しようとしちゃうとそれは押しつけているって感じがする。作品によって違うんだろうけど『
セロ弾きのゴーシュ』(野ねずみのおっ母さん役)の時は、例えば「ゴーシュは何々しました」というのがポンッと差し込まれているような、その時は説明しますとかお芝居します、って感じでなく淡々とね。で、またスッと役に戻るみたいな。
都合としてはそこにいなくてはならないけど、役のようにいる大きな理由はない、私は今どの設定で誰なんだ、とか考えすぎると詰まっていってしまう。もちろん何かしらの理由はいるんだけど。コロスという役を演じていると言えばそうかな。その物語に興味を持ちながら、物語の世界にはいったりするけど、ちょっと引いて見ている読者みたいな感じ。
―その技というかその人個人のセンスも大きい、客観的な感じが強いのはこんにゃく座のオペラの特徴なのかも。そもそも歌って演じるのにはある客観性と冷静さも必要だものね。
髙野/そうだね、歌というか音楽はあるしばりがあるから。役者がその時感じたそのまま演じるだけでなく、音楽が書かれている以上はその世界の中の表現があって、こういう音楽だからこのキャラクターが生まれたりする、そういう意味ではある客観性が必要かもね。歌を歌うってその音をだす技術的なことも必要で、それとその場面や役を演じることも必要で、それが平行して同時に進んでいるっていう感じ。演じることと歌うこと、技術があって芝居の気持ちもあって、時々はどっちかに偏っても、全体的にはこう同時に進んでいく。
―そう!どっちもね!それがこんにゃく座の目指していることだよね。宮澤賢治には話を戻すと…
髙野/高校の時に宮澤賢治の作品をよく読んだんだよね。本読むことはあまり好きじゃないけど、あんなに読んだのは宮澤賢治ぐらいだな。なんか自分にひっかかるものがあったんだね。
直接的な表現って言うのかな、ほんとうのことを書きたい、言いたいっていう感じが偽善的に感じられる部分もあるんだろうけど、そう思いながらもなんかね、物語に惹かれていくんだよね。読んでいると、その偽善的だなぁと思う感覚は通り過ぎて、しんがあるっていうか、中身がちゃんとあるっていうのか、本当にそう思っているからこの言葉を書いていると思えて、惹かれたんだよね。(
オペラ『グスコーブドリの伝記』出演者インタビューその8より)
―まさか大人になってその宮澤賢治の言葉を歌うことになるとはね!歌ってみるとどうなの、読んだ時のわかるな、という感じと同じなの?
髙野/そうだね、自分のこころにピッタリ合ったってことではないんだけど、印象はあまり変わらないね。作曲家の思いもあるし、実際でてきた音楽が、自分の思っていたイメージとは違う意外性の面白さはあるよね。
■オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』について
―初演と同じく大学士役ですね、大学士、尼さん、鳥捕りの三人が面白いって感想もよく聞くね。
髙野/大学士、尼さん、鳥捕りの三人と、その後に出てくる少女もちょっとそうかな、なんか陽気なんだよね。今回やるにあたってなんだけど改めて考えると、もっと生き生きとしていたんじゃないかと思って。鳥捕りは最初からそこにいたのかもしれないけど、あとは死んでしまったであろう人たちなのに、なんか生き生きしている、何かから解放された喜びみたいなのかな。カムパネルラがいるからあの人たちが出て来るっていうのか。まだ少年なのにこの世界に来ることになって、この先にずっと行かなければならないそのカムパネルラに対して、言葉で言ってしまうとちょっと違うけど、不安を除いてくれる、励ますっていうか、受け止めるっていうか。本人たちが生き生きしているのもあるけど、カムパネルラの前に出てくることでもっと生き生きとしちゃうっていう、次々とへんな人たちがやってくるじゃない。だから大学士は前回よりもっと生き生きと!やりたい。この人、崖がくずれて死んでしまったんだろうけど、化石になれるかもしれない!ってウキウキしちゃっている、という感じだったり。税金のことも頭痛いって悩んでいる割には楽しそうだし。はすの実のくだりも、この子たちにはすの実をあげようと思うのは、直接どうしたの?大丈夫?って言葉で励ますのでなく、最初からはすの実をあげますよ、でもなくて、二人の少年たちがなんか気になって関わりたい、彼らへの思いがふっと表れる、そんな感じでやりたいなと。
―もう一人、宮澤先生もやるね。
髙野/宮澤先生もあっちの世界にいっちゃっていると思う。自分の作った物語の教室にいて、突然自分の書いたカムパネルラが表れて「カムパネルラです。」と言われて、自分の書いたものが現実になってるから、ワーっと思って、わざと芝居のセリフっぽく「もう夜ですよ」と言ってみたくなって、そう言っているって感じでやってみようかと。カムパネルラに「ほんとうのことって何ですか?」って、自分が思っていることを登場人物に聞かれちゃって、そう思っているうちに自分の書いたものが具現化してシーンが進んで「銀河鉄道」の世界にはいっていくって感じ。
最後も、ジョバンニに牛乳瓶を渡すシーンがあるんだけど、それも現実の世界に生きているジョバンニに、自分はもう行くけど、あなたにこの本を託しますからね、この本を現実の世界に置いておくからこの先あとはよろしくね、ってっ感じでね。宮澤先生も、前回よりも解放されて自由になっているという風にやりたいなって思う。
2010年 オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』大学士役
(聞き手・忠地あずみ/こんにゃく座制作)