こんにゃく座と宮澤賢治
◆オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』出演者インタビュー その11
2017-02-01
■こんにゃく座に入ったきっかけ
島田/今回の出演者に東京学芸大学出身者が4人いるので同じような感じでもあるのですが、僕の場合は中学校・高校の音楽の先生になるための勉強をする「中等音楽科教育法」という授業の締めくくりの課題で、「魔法の笛」を上演するという機会がありました。僕はもともと図工とか物を作るのが好きだったので、ひとつの舞台を作る中での小道具とか衣装の物作りが面白くって、舞台を作るのってこんなに楽しいのか!と、張り切ってしまったんですね。授業では1幕だけの発表だったんですけど、その後しばらく経って大石さん(大石哲史)のワークショップがあり、その時はワークショップの意味もよくわからず、「魔法の笛」がまたやれる!とまた張り切って、とにかくその大石さんという人に見せるためにと徹夜で夜の女王のドレスとかパパゲーノの衣装とかいろいろ作って…、ワークショップ当日はほとんど寝ているっていう…。その時に買ったミシンを今でも大事に使ってます。その時に初めて大石さんに会って、その後も指導に来てもらいました。この人はいったい何をやっている人なんだろうと思っていて、こんにゃく座の「魔法の笛」のビデオは見ていたのですが、あのパパゲーノをやっている人だとわかるのに半年くらいかかりました(笑)その後、『森は生きている』と『セロ弾きのゴーシュ』も上演しました。
―こんにゃく座を知るきっかけが、大石さんだったんだね。その頃から歌うことへの興味はあったの?
島田/前はただ衣装とかを作るのが好きで、そんなに演劇に興味があったわけでもなく、音楽をやるということだけは小学校の時から決めていたんですけど、どういう形でやるということは決めていなくって、最初は作曲家になろうと思ったり、歌手やピアニストになろうと思ったり、一番本格的にやっていたのはドラムで、上京もドラマーになりたいという思いからだったんです。東京に出てきて、バンドを組むためにインターネットの掲示板で見たメンバー募集に応募して、実際にスタジオで演奏してみたりしたんですけど、こんなに自分が人見知り激しいんだということを再認識して、知らない人とバンド組むのは無理だなと、でもドラムは一人ではできないなと思って…。それでピアノを弾くようになったんです。ピアノを習いはじめたのも高校の時だったので大学に入った時点ではあまり弾けず、みんな小さい頃からやっていて上手かったので追いつきたいと思って、大学にはたくさん練習室があってそこに一人でこもって練習したりして、まあピアノはちょっと上手になりました。
その頃うたにはそんなに興味なくって、歌うってことを仕事にしようなんてことは思っていなかったですね。就職活動の時期になって、みんな進路を考え始めている中でも僕は何も考えていなかったんです。そんな時に大石さんからふっとオーディションの話をするから立川に来てと言われ、喫茶店かどこかでこんにゃく座の話を聞きました。衣装も小道具も自分たちが作ったりするんだということも聞いて、今思うとそこがポイント高かったのかもしれない。それは面白そうだな、楽しい大人になれるかなって思って。トラックの運転もしないとならないと聞いて、それまで運転免許を取るつもりは一切なかったんだけど、入座前にとすごい勢いで免許もとりました。
やりたいことはたくさんあったんですけど、自分の将来の職業についてはあまり考えていなかったんですね。大石さんと会えなかったら、やっぱりドラマーになっていたのか、教員になっていたのか…。
大学の頃は、たぶんオペラってこんな感じで歌うんだろうな、こういうもんだって感じで、あまり考えずにそれっぽい歌い方で歌っていて、そのことをよく大石さんにボロクソに言われました。高校の時も吹奏楽部だったり、ギターとか、和太鼓とか、ジャズ研究会とか、兼部しまくっていたので、音楽は興味あったのですが、うたについては合唱部で歌うくらいでしたね。
こんにゃく座は、物を作って、楽器もやって、うたも歌ってと、自分のやりたいことを一番たくさんやらせてもらえる国内随一の団体で、そんな団体に巡り合って、ラッキーだったなと思います。
■宮澤賢治作品との出会い
―子どもの頃に宮澤賢治の作品の絵本とか映画とかはなじみがあった?
島田/物語というか童話はあまり読んでいなくって、子どもの時は推理小説なんかが好きだったので、江戸川乱歩や森村誠一とかばかり読んでいました。一番最初に読んだ賢治作品は、小学校6年生の時で「注文の多い料理店」ですね。僕はどうやら記憶することが趣味みたいで、子どもの時も円周率とか元素表とかをひたすら覚えるのとか好きだったんです。小学校で毎年、1年生から6年生まで学年の代表を選んで自分で選んだ本を音読するという行事があって、本を見ながら読んでもいいんですけど、僕はまるまる1冊覚えて話すということが好きで、4、5、6年生と代表に選ばれていました。「注文の多い料理店」は発表のためということではなかったんですけど、ただ覚えたくて読んだんですね。
―じゃあ、最初に読んだというか、暗記したのが「注文の多い料理店」だったてことね。
島田/そうですね、ひたすら読んで暗記してって。挿絵がちょっと怖かったのが面白かったのと、言葉のちょっと古い感じというか、その言い回しとか好きだなって思っていました。僕は趣味で漫画を描くんですけど、気付くと賢治風の言い回しを使ったりしていて、自分はやっぱりそういうの好きなんだなって認識します。ただの文語調でもなく、なんかねじけた感じの言葉、セリフ使いが好きだなと思うんです。そのセンスというかそれがすごく面白いと思って、賢治作品を読んで笑い転げるってこともあるくらい。
―へえ、それはなんだかものすごい賢治作品の理解者かもしれないね。いろいろ意味をもとめるより、直観で読んで楽しむというのが望まれているような気がするよね。
島田/小さい頃からですが、本を読む時は、とにかく登場人物の姿をかなりはっきりと思い描かないと、映像化しないと読み進められないんです。推理小説も登場人物の顔とか描きますから。頭の中で、アニメーションみたいな感じかな、イメージができているのに途中で違う情報がはいってくると頭の中が大混乱してくる(笑)「注文の多い料理店」の時も挿絵の印象で読んで覚えているから、その版画調の画の人が動き出すっていうのかな。
―宮澤賢治の登場人物は自由だしさまざまだから、そういう意味でも自分の中で視覚化するとかなり面白い、読み応えがあるよね。
島田/そうですね、読み甲斐があります!
■オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』について
島田/余談ですけど、こんにゃく芋の花って6年目に咲くらしいんですよ。初演の年(2010年)は、ちょうど入座6年目でいろいろと出演させてもらった年でした。初演とは周りもみんな変わっているから感じることとかは違うんですけれど、音楽から感じることが強かったみたいで、僕は楽譜にメモとか注意書きを何も書き込まないので、メモみたいなものがほとんど残っていないのだけれど、今回音楽稽古とかを始めて音が耳に入ってくると、初演の時に大石さんと作っていった感じをその時のように思い出しますね。大石さんの演出も音楽との関係が強くって、そういう色合いとかは、メンバーやセットが変わっても同じように作っていけるっていうのかな。
―ジョバンニのお母さんとのシーンは、初演も大石さんと時間をかけて作ったいいシーンだよね。
島田/初演は結構細かく稽古しましたね。あのシーンなんかいわゆる普通のオペラでは見られないんじゃないかなと思います。ジョバンニがトマトを食べて歌うんだけど、萩さんの別のオペラでも「生きるっていうことは食べる事」みたいな歌を聞いたことありますが、僕もだいたいの物語のテーマは「生きること」だと思っていて。食べるということを舞台上で生き生きとやれると、生きているって感じがしていいなあと思います。
―この作品の見どころはどんなところだろう?
島田/リンゴが出てくるんですけど、このリンゴってなんだろうなって、なんで出てくるんだって思うんです。別に正解とか無いと思うんです。ジョバンニとカムパネルラの間の、言葉はないけど、リンゴを使って二人の会話のキャッチボールをしているという感じとか、初演の時もいろいろやってみたんですけど、そのリンゴの行方もまだいろいろやってみていて、今はカムパネルラ君(北野雄一郎)と話しながら、このリンゴがこういう時にこういう象徴として受け渡されるっていうのはどうやったら見えるかな、とか、もっと意味なくなんとなくやってみるとか、やっているとどういうことなんだろうと思ったり、こういうことかなと思ったり。なんとなくこれなんだろうなって気にして観てもちょっと面白いかなって思うんです。
それぞれのキャラクターや出来事も謎があるんだけれど、謎が全て無くなるのが面白いとも思わないから、その謎を持ち帰ってもらえるのもいいかなと。
この作品のジョバンニもどういうことなのかなと思っていて、ほんとうのことって何なんだろうな、真理についてっていうと小難しくなるけど、生きるってこと、死ぬこと、それは一体なんなんだろうなって考える。『想稿・銀河鉄道の夜』もきちんと答えをだす作品でなく、それはなんなんだろうって一緒に考える、そんな見方をするのも面白いかなって思います。
(聞き手・忠地あずみ/こんにゃく座制作)