こんにゃく座と宮澤賢治
◆オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』出演者インタビュー その6
2016-12-21
■こんにゃく座に入ったきっかけ
沢井/二期会オペラ研修所を出て、フリーであっちこっちのオペラに出たり、プロジェクトに参加したりしていて、その内のひとつに年に1回とか定期的にやっていたオペレッタのプロジェクトがあり、そこに出演していました。曲は外国の物ですが、歌詞もセリフも日本語で上演するスタイルで、ダンスもあったり歌って芝居して…という感じで、代々木のムジカーザで上演したのですが、その時の共演者のお友達に彦坂さん(座員・彦坂仁美)がいて、観に来てくれていました。後日別のオペラの現場でその共演者とまた再会した時に、彦坂さんが「すごく面白かったし、こういう男性がこんにゃく座にはいってくれたらいいと思う!」と言っていると教えていただいたんです。
―彦ちゃん(彦坂仁美)のスカウトみたいなものですね!
沢井/その時はちょうどやっぱりどこかに所属したほうがいいのではないか、とかいろいろと考えていた頃で、別の先生から劇団四季を受けてみないかとも言われて、情報集めたり観に行ったりして、自分にあっているのはどういうところか、などなど数ヵ月考えました。
―子どもの頃からこういう世界に行きたいとか、歌うのが好きだったとか、あったの?
沢井/ぜーんぜん!こどもの頃は完全なる電脳少年で、高校入る頃くらいまで、まだパソコンの画面は緑色の文字が羅列されるような時代、ずっとパソコンでプログラム作ったりしていて、システムエンジニアになるものだと思っていました。でも一方で、ピアノを弾ける人、楽譜を読める人にあこがれていて、音楽は好きでした。でも習う機会はなかったし…。コンピューターを使って音楽を作る、演奏するというのが趣味でしたね。シンセサイザーとかとても買えないから楽器屋さんでちょっと楽器を触っては、カタログをもらって家で穴があくくらい読んでいた、という毎日でした。普段もジャズやボサノバや歌のない音楽ばかり聞いていましたね。楽器で歌うということに興味があったんですが、歌ではなかった。
―それが、なんでこんなことに?!
沢井/本当に!なんでこんなことになって…。それまではサッカー部だったんですけど、高校では演劇部にはいって演劇もやりました。進路決める段階になり、家が電器屋だったし、工学部電子科志望でそこに行くんだろうな、と思っていました。でも進路を考える中で本当に自分は何をしたいのかじっくりと考えたところ、なんでいい音楽はいいのかという理由を知りたい、勉強したいという思いが強くなり、大学も遊びに行く気は全くなく、本当に自分がやりたいことを勉強するために行こうと思いました。
それは、音楽の先生の勧めもあったんです。その音楽の先生に、ある日の休み時間に校内放送で呼び出され「私の子どもだったらあなたに音大を勧める」って言われ、それまでは音楽は趣味だからと自分の気持ちに蓋をしていたその思いをあけられたって言うんですかね、背中を押されました。それで、いざ音大を受験しようとした時に楽器もやっていないし、ピアノも弾けないし、今からじゃ遅いし、先生に「あなたもう歌しかないわね」と言われ、そこから歌が始まりました。今だったら楽理科を受験するとかあるんだろうけど、その時はそんな知識もなく、歌か楽器のどちらか、ということで歌を選んだという感じでした。
歌う人っていいなと思ったのは、大学の時についた先生の影響が大きくて、歌も芝居もお話もとても良い先生で、こういう生き方もあるんだな、と知りました。卒業の時は卒業単位の倍とるくらい勉強も、ものすごくしました。はまると凝り性なんですね(笑)高校の時のあの音楽の先生に「音大に入学する頃はあなたは一番下だろうが卒業する時には首席で卒業しなさい、それくらい頑張りなさい!」と言われなんとか約束を守り卒業しました。
―要所要所で、いい先生に出会えたってことだね。
沢井/こんにゃく座との出会いとしては、ちょいちょい接点はあったんだけど、それは本当に点でした。大学4年生の時に教育実習に行った先の学校が母校でなく別に紹介された学校だったんですけど、そこにいた先生が音楽教育の会に参加している先生で、実習終了時にプレゼントしてもらったのが、林光さん訳の「ああもみの木」の楽譜本だったというのが最初で、座員の彦坂さんにこんにゃく座の事を聞いた時も「森は生きている」を公演している団体だなというくらいの認識で、その時もまだ林光さんとこんにゃく座がそんなに深く結びついていなかったのです。その他、元座員の方のコンサートに誰かのつながりでたまたま出演したり、卒業して3年間くらい久地(現在のこんにゃく座事務所稽古場のある地域)に住んでいたりとか、いろいろな点がつながって、やっぱりここにくることになっていたのかなと。なんだか不思議なんだけど、結局ここに引き寄せられたんだなと。
―それはもう運命ですね(笑)
■宮澤賢治作品との出会い
沢井/子どもの頃は電脳少年だったから、読む本も図鑑とかマニュアル本とか解説書とか、本屋も専門技術書のコーナーに行くマニアックな子どもだったので、自分では物語を好んで読むということがほとんどなかったんですね。8歳9歳頃には完全にデジタル少年でね(笑)。
教科書に載っている宮澤賢治の物語の印象もあまり良くなくって。オノマトペとか、何?って、意味がわからない、と全く関心を示さなかった。いやな子どもでしたね(笑)
こんにゃく座にはいってからも「注文の多い料理店」とか原作を読むんですけど、なんだかもやもやしてるっていうのか、分析しちゃうんですね、仕組みがないっていうか、論理的でない感じがしちゃうんですかね。
■オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』について
―本で読んだ時にもやもやしていて肌に合わないって思っても、そこからそれを歌って演じることになるんだけど、そこは何か気持ちの中に変化があるのかな?
沢井/そうですね、自分の口から宮澤賢治の作品を発するのは「銀河鉄道の夜」が初めてだったんだけど、オペラでは音楽があるので、音になるとまた違うんですね。自分の中にそういう矛盾するところもあって、電脳的な頭もありつつ、音となると曲線とか、色合いとか芸術的なことがすごく感じられて…。本としてボンと目の前に出されてもふーんて感じなんだけど、萩さんの作曲があって方向性が決まって整理されて、そうすると色彩豊かになって、もやもやしたものが解消されるんですね。数値でないものでも音だったらすっと入ってくる。自分の中にそういう相反するものがあって、音楽のロジックと抒情的な部分が混ざると、ものすごく納得できる。オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』の役作りでもあまり苦労した感じでなく特にすっとはいれた。楽譜から読み取って音がこうきているから、こうして欲しいのかな、じゃあ自分はこうやってみよう、とか。納得してできました。わからないところは直接萩さんに相談できるし。生きている作曲家と現在進行形で作品創りができるのは本当に幸せでしたね。
―作品の中では、まろ(沢井栄次)の演じる青年からザネリへとシンクロしていくシーンは印象的だし、いいね、という声が多かったよね。
沢井/あそこは作品の中でもインパクトあるしドラマチックですしね。楽譜を見てもそこはすごく音が厚く、この部分はものすごく重要なんだなとわかるし、ここを受け持つ重責に耐えるのが初演は本当に大変でした。こんにゃく座の中では最初の本格的デビュー役で思い入れもあるし忘れられない作品ですね。もう千穐楽は緊張と重責で本当に具合悪くなりました。
―初日でなく?千穐楽?初日の怖さはいつでもあるけど、こんにゃく座は1回だけでなく何回も本番があるでしょ、だんだん落ち着いたり、評価も聞こえてきたりと、千穐楽の頃には少しは大丈夫になるんじゃないの?
沢井/普通はね何回かやると落ち着いてくるんだけど、これは毎回あそこのシーンがちゃんとできるのか、その重責のストレスでそれが積み重なって…ね。それとあの時は、まだ言葉を覚えるのがものすごく苦手だったし、音が早いのでひとつ違うともうおしまいなので。今はこんにゃく座で早く覚えなければならない状況に鍛えられたし、心の持ちようも変わってきているから、少しはいいかな。人からはあまり緊張してるように見えないと言われるんだけど、毎回本番は、すごく緊張しているんです!
―今回は、同じ役にまた挑戦できるね。新しいキャストもいるし、初演と同じ役の人でも時間が経っているし、また新たな取り組みだね。
沢井/そうですね、再演できるのはとても嬉しいです。でも細部は完全に忘れているので(笑)また最初から作り直します。時間も結構経っているから青年役って書いてあるのに、中年にならないように(笑)見え方があの時と違うので、経験を積んで、年数経ったのを良い風に作用するようにしないとですね。貫禄でガキ大将感は前より出ていると思うんですけど(笑)
有名な作品なのでいろいろな団体が「銀河鉄道の夜」を取り組んでいますが、オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』は、ちゃんとオペラとしても成立していて、いいバランスの作品だと思うんです。これはぜひともいろいろな方々に観てもらいたいですね。僕みたいに「銀河鉄道の夜」を毛嫌いして読まなかった人にもぜひお勧めしたいです。初演のシアタートラムの空間は、キラキラしていて、神々しさもあり、とても良くてお客さんの目線でも見たかったなと思いました。今回も、客席も巻き込んでお客さんも一緒に星の中の空間にいるような、「銀河鉄道の夜」の世界観がだせるといいなと思います。
最近自分の中では透明感がテーマなので、青年は特に“透明感”を目指して、命がけで!がんばります。
(聞き手・忠地あずみ/こんにゃく座制作)