こんにゃく座と宮澤賢治
◆海を渡ったオペラ『セロ弾きのゴーシュ』(作曲・林光) 2016-06-15
─林光さんにとって、初の賢治オペラとなる『セロ弾きのゴーシュ』は、『シグナルとシグナレス』の翌年、1986年に初演となります。
萩/大石さんはずっと以前から「セロ弾きのゴーシュ」をオペラにしてこんにゃく座でやりたかったんだよね。光さんが作曲しようが、私が作曲しようが、たぶんどちらでも良かったのでしょう。「ゴーシュ」を書いてって光さんにも言っていたし、実は私にも言っていた。ただ私はどうも、ゴーシュというものに、ぱっと取り組めないようなものを感じていて、もたもたしていたところがあって、でも光さんにはゴーシュというのがずっとテーマとしてあったから、当然光さんがやるっていうことになっていったわけ。 それでまぁ、ゴーシュをやるっていうので大石さんははりきって、チェロを実際に買って、チェロを習うんだ! てやっていましたけれども、結局、光さんの曲は、本物のチェロは使わない、っていうことになりました(笑)。
─ちょうどゴーシュをやった時期のこんにゃく座というのは、座員も少なくて、出演者6人でやるっていうのも、その時の条件というか、必要から生まれた形だったわけだよね。そもそも座員の数がそれしかいなかったから。
萩/そう。だから、入座して間もない梅ちゃん(梅村博美)なんかが狸の子をやって、三毛猫役も新人の鈴木啓くんで。狸の子と三毛猫はダブルキャスト。三毛猫のもうひとりは、バジさん(佐山陽規。元こんにゃく座歌役者)にゲスト出演をお願いした。バジさんが出る日と、鈴木くんが出る日とあるけれど、鈴木くんのときは、コロスとしてバジさんにも出演してもらって、7人バージョンでやったんだった。
─バジさんにシングルキャストでやってもらうことはせず、育てる意味合いもあって、新人もキャスティングしたんだね。
萩/そうそう。で、当時は演目もさ、とにかくゴーシュしかないわけだから、小学校、中学校、高校も全部ね、どこでもゴーシュをやったわけ。
初演から10年くらいの間は、座員を育てるためにもキャストチェンジを重ねていくわけね。キャストチェンジは大変だったけど、その時代に少しずつ座員が育っていったと言えるかな。
2007年、新演出版舞台写真
─1999年にゴーシュは、こんにゃく座初の海外公演に出かけましたよね。
萩/海外公演をしたいって思ってから、中国で「金色夜叉」公演をやろうとか、いろんなことを検討して探っていたけどなかなか実現しなくって。やろうと思ってこちらから行かなきゃ、向こうから依頼はこないんだって、だんだんわかってきて、当時精力的にフランスのアヴィニョン演劇祭に参加して公演をやっていた黒テント(※1)に相談したわけ。佐藤信さんに直接電話していろいろ教えてもらった。その時に、こういう劇場でやったとか、お客集めのこととか具体的なことを教えてもらって、こちらはそれをお手本としてやったわけです。
─こんにゃく座は、アヴィニョン演劇祭に招聘ではなく、自主参加したわけだけど、劇場とかもこっちでおさえるの?
萩/そう、ほとんど全部こちらでやるの。チケットだって、誰かが売ってくれているわけではないから、現地に行ってから自分たちで宣伝してやるしかありませんよって感じ。演劇祭全体のパンフレットには載るけれども、それで人が来るか来ないかは、わからないっていうことで。
─じゃ、ほとんど当日券みたいなこと。蓋をあけるまでわからない、みたいな。
萩/そうそうそう。だから毎日毎日宣伝して。まぁちいさい会場だから、10公演で観客数は500人とかそのくらいかな。少ないけど、濃厚だったな。観に来る人が、積極的に観るし、なんだかもう感想も濃厚なわけよ。お客さんからの反応がとても強烈だったよね。
─言葉を伝えるということを大切にしているこんにゃく座が、海外で、日本語でこんにゃく座のオペラを上演するということの意味とか意義とか、手応えみたいなことっていうのは具体的には?
萩/日本では「言葉がよくわかりますね」て言われるのは、それは嬉しい感想であり評価なんだけれども、言葉が通じない観客に言葉をちゃんと伝えようとした結果それは作曲家がその言葉をどう音楽にするかという結果でもあるし、その言葉をどう表現しようか、としてきた歌い手たちのこともあるんだけど、中味が伝わるっていうことだったんだっていうことを感じた。意味として言葉がわからなくても、何が繰り広げられているかっていうことはアヴィニョンでほとんど伝わったのがわかった。 日本にいると、たとえば「林光さんの音楽」についての評価をされることは多いけれども、あまりこんにゃく座の表現を音楽として評価される言葉が少なかったので、すごい自信になったよね。
─アヴィニョンの後こんにゃく座は、いくつかの海外公演をおこなってきたけれど、海外公演の時の街中での歌いながらパレードをするというのは、アヴィニョンの時から始まったんだね。
萩/やっぱり屋外で歌うっていうことには基本的に自信を持っていないわけよ。生声だからね。ところがアヴィニョンは建物も石でできた街だから、歩きながら歌うということがとてもいいわけ、反響して。それで道行く人も聞いてくれるわけ。立ち止まってくれて。全然日本の感じとは違うかな。それでいつも良い気持ちになって大石さんは、パレードで歌いすぎて、本番で声を枯らして、病院に行くっていうパターンね(笑)。
アヴィニョンでのパレード風景。鍵盤ハーモニカ、アコーディオン、リコーダー、横断幕は必需品。
※1…劇団黒テントのこと。
【オペラ『セロ弾きのゴーシュ』関連商品】
CD「2003年アジアツアー帰国記念公演オペラ『セロ弾きのゴーシュ』」
こんにゃく座販売価格\2,700(税込)
ゴーシュ…大石哲史、楽長…岡原真弓、三毛猫…井村タカオ、かっこう…竹田恵子、狸の子…梅村博美、野ねずみのおっかさん…川鍋節雄、ピアノ…寺嶋陸也による。帰国公演ライブ録音版。
DVD「オペラ『セロ弾きのゴーシュ』」
こんにゃく座販売価格\4,000(税込)
ゴーシュ…井村タカオ、楽長…岡原真弓、三毛猫…佐藤久司、かっこう…青木美佐子、たぬきの子…田中さとみ、野ねずみのおっかさん…大石哲史、ピアノ…榊原紀保子による。2007年新演出版。
萩/大石さんはずっと以前から「セロ弾きのゴーシュ」をオペラにしてこんにゃく座でやりたかったんだよね。光さんが作曲しようが、私が作曲しようが、たぶんどちらでも良かったのでしょう。「ゴーシュ」を書いてって光さんにも言っていたし、実は私にも言っていた。ただ私はどうも、ゴーシュというものに、ぱっと取り組めないようなものを感じていて、もたもたしていたところがあって、でも光さんにはゴーシュというのがずっとテーマとしてあったから、当然光さんがやるっていうことになっていったわけ。 それでまぁ、ゴーシュをやるっていうので大石さんははりきって、チェロを実際に買って、チェロを習うんだ! てやっていましたけれども、結局、光さんの曲は、本物のチェロは使わない、っていうことになりました(笑)。
─ちょうどゴーシュをやった時期のこんにゃく座というのは、座員も少なくて、出演者6人でやるっていうのも、その時の条件というか、必要から生まれた形だったわけだよね。そもそも座員の数がそれしかいなかったから。
萩/そう。だから、入座して間もない梅ちゃん(梅村博美)なんかが狸の子をやって、三毛猫役も新人の鈴木啓くんで。狸の子と三毛猫はダブルキャスト。三毛猫のもうひとりは、バジさん(佐山陽規。元こんにゃく座歌役者)にゲスト出演をお願いした。バジさんが出る日と、鈴木くんが出る日とあるけれど、鈴木くんのときは、コロスとしてバジさんにも出演してもらって、7人バージョンでやったんだった。
─バジさんにシングルキャストでやってもらうことはせず、育てる意味合いもあって、新人もキャスティングしたんだね。
萩/そうそう。で、当時は演目もさ、とにかくゴーシュしかないわけだから、小学校、中学校、高校も全部ね、どこでもゴーシュをやったわけ。
初演から10年くらいの間は、座員を育てるためにもキャストチェンジを重ねていくわけね。キャストチェンジは大変だったけど、その時代に少しずつ座員が育っていったと言えるかな。
─1999年にゴーシュは、こんにゃく座初の海外公演に出かけましたよね。
萩/海外公演をしたいって思ってから、中国で「金色夜叉」公演をやろうとか、いろんなことを検討して探っていたけどなかなか実現しなくって。やろうと思ってこちらから行かなきゃ、向こうから依頼はこないんだって、だんだんわかってきて、当時精力的にフランスのアヴィニョン演劇祭に参加して公演をやっていた黒テント(※1)に相談したわけ。佐藤信さんに直接電話していろいろ教えてもらった。その時に、こういう劇場でやったとか、お客集めのこととか具体的なことを教えてもらって、こちらはそれをお手本としてやったわけです。
─こんにゃく座は、アヴィニョン演劇祭に招聘ではなく、自主参加したわけだけど、劇場とかもこっちでおさえるの?
萩/そう、ほとんど全部こちらでやるの。チケットだって、誰かが売ってくれているわけではないから、現地に行ってから自分たちで宣伝してやるしかありませんよって感じ。演劇祭全体のパンフレットには載るけれども、それで人が来るか来ないかは、わからないっていうことで。
─じゃ、ほとんど当日券みたいなこと。蓋をあけるまでわからない、みたいな。
萩/そうそうそう。だから毎日毎日宣伝して。まぁちいさい会場だから、10公演で観客数は500人とかそのくらいかな。少ないけど、濃厚だったな。観に来る人が、積極的に観るし、なんだかもう感想も濃厚なわけよ。お客さんからの反応がとても強烈だったよね。
─言葉を伝えるということを大切にしているこんにゃく座が、海外で、日本語でこんにゃく座のオペラを上演するということの意味とか意義とか、手応えみたいなことっていうのは具体的には?
萩/日本では「言葉がよくわかりますね」て言われるのは、それは嬉しい感想であり評価なんだけれども、言葉が通じない観客に言葉をちゃんと伝えようとした結果それは作曲家がその言葉をどう音楽にするかという結果でもあるし、その言葉をどう表現しようか、としてきた歌い手たちのこともあるんだけど、中味が伝わるっていうことだったんだっていうことを感じた。意味として言葉がわからなくても、何が繰り広げられているかっていうことはアヴィニョンでほとんど伝わったのがわかった。 日本にいると、たとえば「林光さんの音楽」についての評価をされることは多いけれども、あまりこんにゃく座の表現を音楽として評価される言葉が少なかったので、すごい自信になったよね。
─アヴィニョンの後こんにゃく座は、いくつかの海外公演をおこなってきたけれど、海外公演の時の街中での歌いながらパレードをするというのは、アヴィニョンの時から始まったんだね。
萩/やっぱり屋外で歌うっていうことには基本的に自信を持っていないわけよ。生声だからね。ところがアヴィニョンは建物も石でできた街だから、歩きながら歌うということがとてもいいわけ、反響して。それで道行く人も聞いてくれるわけ。立ち止まってくれて。全然日本の感じとは違うかな。それでいつも良い気持ちになって大石さんは、パレードで歌いすぎて、本番で声を枯らして、病院に行くっていうパターンね(笑)。
(聞き手・田上ナナ子/こんにゃく座制作)
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1986年の初演以来、国内で962ステージ、
海外で19ステージを重ねてきた、オペラ『セロ弾きのゴーシュ』。
こんにゃく座を支えてきた作品のひとつです。
6人の歌役者とピアニストで上演するこの作品は、
現在通常のレパートリーとしてはお休み中ですが、
またいつでも身軽にみなさまの前に
登場することができる作品でもあります。
1986年の初演以来、国内で962ステージ、
海外で19ステージを重ねてきた、オペラ『セロ弾きのゴーシュ』。
こんにゃく座を支えてきた作品のひとつです。
6人の歌役者とピアニストで上演するこの作品は、
現在通常のレパートリーとしてはお休み中ですが、
またいつでも身軽にみなさまの前に
登場することができる作品でもあります。
※1…劇団黒テントのこと。
【オペラ『セロ弾きのゴーシュ』関連商品】
CD「2003年アジアツアー帰国記念公演オペラ『セロ弾きのゴーシュ』」
こんにゃく座販売価格\2,700(税込)
ゴーシュ…大石哲史、楽長…岡原真弓、三毛猫…井村タカオ、かっこう…竹田恵子、狸の子…梅村博美、野ねずみのおっかさん…川鍋節雄、ピアノ…寺嶋陸也による。帰国公演ライブ録音版。
DVD「オペラ『セロ弾きのゴーシュ』」
こんにゃく座販売価格\4,000(税込)
ゴーシュ…井村タカオ、楽長…岡原真弓、三毛猫…佐藤久司、かっこう…青木美佐子、たぬきの子…田中さとみ、野ねずみのおっかさん…大石哲史、ピアノ…榊原紀保子による。2007年新演出版。