2018年『よだかの星』特集ページ
うたものがたり『よだかの星』出演者インタビュー その7 沢井栄次
2018-03-07
テーマ:「楽器」
─まろ(沢井栄次)は変わった楽器をたくさんやってるイメージ。演奏するのが好きなの?
沢井(以下、沢)/もともと歌より楽器が好き。インスト(インストゥルメンタル)ばっかり聞いていたから。
─小さいころ何か楽器を習っていた?
沢/習ってないです。
─持っていた楽器は?
沢/カシオトーン(キーボード)しかなくって。それを鍵盤が反応しなくなるくらい使いたおして。当時はシンセ小僧だったから、とにかく各メーカーのシンセサイザーのカタログを必ず全部楽器屋さんでもらってきて熟読。スペックは全部頭の中に(笑)。買えないから、とにかくカタログを読むだけで。
─電子な楽器が好きなの?
沢/もともと家が電気屋だったし、80年代からパソコンが家にあった。まだマイコンって呼ばれていた時代。最初は売り物だったんだけど、だんだん僕のおもちゃになっていって。フロッピーディスクすら世の中でまだ珍しい頃で、データの保存はカセットテープだった時代(笑)。
─カセットテープ?
沢/うん。パソコンとカセットデッキをつないで。昔インターネットでISDNとか、ピーヒョロロロロ~とかいう音があったじゃないですか。あの音がデータなんですよね。
─?? えっ?
沢/あれがプログラムなんですよ。0と1の二進数の音があのピーヒョロロロロ~の音で、その音を、カセットテープに録音して、それでデータを保存してたの。
─いわゆる、音楽とか録るカセットテープと同じもの?
沢/同じもの。80年代のパソコンは記録する方法がそれしかなかったので。そのカセットテープを再生して、音がパソコンに入って、プログラムを読み込ませる。だから、インベーダーゲームとかやりたいときは、テープを再生して、40分くらい待ってなくちゃいけなかった(笑)。
─へー! それから考えるといまは夢のようだね。
沢/小学生のころからパソコンのキーボードに慣れ親しんでるような環境だったので、パソコンは僕にとってはおもちゃっていう感覚。自分でプログラムを組んで、自分の考えたとおりに結果がなるかどうかっていうのがひとつの遊びだったんです。それから、パソコンで音を奏でるっていう、
─パソコンで音を奏でる?
沢/楽譜をプログラムに自分で変換して書き換えて、それをパソコンに奏でさせる、っていうことをやっていた。そこから、中学生くらいのころには、シンセサイザーにだんだん興味がうつって、シンセサイザーは、なんでひとつの楽器でいろんな音が作れるのかっていう理論に興味を持って。いろんなメーカーによって、加算方式、減算方式とかいろんな音源方式があるんですけど、それを勉強して。そうしたら、今度シンセサイザー機能がついているパソコンが出てきたので、パソコンにデータを入れて、音色を作る。ピアノやほかの楽器の音を作ったり、シンセサイザーでしか出せない音を作ったり。
─シンセサイザーを使って、聞こえてくる音のことだけじゃなくって、なぜこういう音が聞こえるのかっていうところまで探っていたんだね。
沢/そう。コンマ何秒単位で聞いて、最初に何が聞こえる、次にどういう音が聞こえる、最後にどういう音が聞こえる、って、そういう風に音を聞き分けて、それをシミュレーションしてデータを入れて試行錯誤していく。自分で作った色々な楽器の音を使って自分のパソコンで曲を演奏させたいっていうのがあって。ピアノも習ってなかったから、僕は演奏できなかったからね。パソコンが楽器だったの。
その後ひょんなことからクラシックをやるようになって、でも楽器ができないから歌しかないよって先生に言われて。クラシックの世界を始めてから、ピアニストの方とか他の楽器の人とかかわるなかで、だんだん生音っていうのはすごいなって思うようになっていった。シンセサイザーで生音のような演奏をしたかったら、すごく細かくエディットしなくちゃいけないんだけど、生楽器だとこんなに自在にできるんだって。だからだんだん生楽器のほうがおもしろいなって思うようになってきたの。
─最近一番はまっている楽器は?
沢/いまはまっているのはクラシックギター。3年前くらいに、ある人のコンサートに行ったときに、客席の後ろからギターを弾きながらアリアを歌って登場っていうのをやっていて、あ、これはこの時間ピアニストにも休んでもらえるし、お客さんの耳の感じもかわるし、プログラムとして使えるな、って思って(笑)。ぜんぜんやったことがないから、まず四弦のウクレレから始めて。でもある曲を弾くには、六弦ないと無理だということがわかって、去年2月の『想稿・銀河鉄道の夜』のゲネプロの日だったかな、劇場に入るまえに渋谷の楽器屋に寄ったら、欲しかったギターがアウトレットで一本だけ半額くらいで出ていて、これを逃す手はない! と思って買ってしまいました。それを背負って劇場入りしたの(笑)。
─楽器道楽だね。
沢/そんな高いものは買わないようにしているんですけどね。でも気づいたらいま結構、持ってるなぁ。ウクレレが2本でしょ、ギターが2本でしょ、ザフーンもあるでしょ、オカリナもあるでしょ、アンデス……
─アンデス…?
沢/あの“ピタゴラスイッチ”(NHK Eテレで放送されている番組)の、「♪テレッテレッテレッテ」ていう音の楽器。
─ほー。あれはどういう楽器なの。
沢/パンフルートってわかります? あれが中に入っていて、鍵盤がついているの。鍵盤ハーモニカのホースで吹きながら演奏する。鈴木楽器製作所っていう鍵盤ハーモニカを作っているメーカーなんですけど、縦笛でひとりで和音ができたらいいねって思った社長が作ったんですけど、売れなくって一回廃盤になっちゃった。ずいぶん経ってから栗コーダーカルテット(インストゥルメンタル・バンド)が持っていて、ピタゴラスイッチでちょっと人気が出始めたら、数年前に復刻版が再販になって(笑)。これはまたいつ廃盤になるかわからないので一個持っておこうと。
とりあえずすぐ出せた楽器。右からLehoのテナーウクレレ、KIWAYAのコンサートウクレレ(インレイ加工済)、ウインドシンセのEWI4000S、オペラ『ゴーゴリのハナ』で登場したザフーン、マルチエフェクター、YAMAHAのエレガットギター、鈴木楽器のアンデス25F。まだ押し入れに眠っている楽器も有。
─まろにとってはさ、歌うことと演奏することってまったく別?
沢/僕にとっては一緒。歌に対する考え方も、たぶん他の人より器楽的なんじゃないかな。楽器は言葉がないから、クラシックでは特にフレージングというものを考えるわけですよ。楽譜に書いてある通りだけ正確に弾いたってそれはぜんぜん音楽が死んでいるから。パソコンで音楽をやっていたからよく知っているんです。いろんな勉強して、その曲の背景、時代とかね、ロマン派なのか古典派なのかとか、この作曲家の場合この記号はこういう意味をあらわしているとかそういう知識を踏まえたうえで、どう弾くかっていう。そこに演奏者は心血を注ぐわけですね。僕の歌の場合はそれに近い。伴奏のピアノがこう動いているから、その影響をもらってとか、歌のフレーズがこっちにきているから、ここは一緒にしようとか、対抗しようとか。音をさらうときに事前に考えるわけですよ。それから稽古に臨む。
─まろはいつから歌を始めたんだっけ。
沢/高校で誘われて入った演劇部の大会を、音楽の先生が見に来ていたんです。2年の時にその先生に呼び出されて、「あなたが私の息子だったら音楽大学に行かせるんだけど、行く気はないか」て言われたのが最初。
─ご両親はびっくりしたんじゃない。
沢/最初は、「?」て感じで。「え、工学部行くんじゃないの」って。
─家業の跡を継ぐと思っていた?
沢/兄貴がいるから跡取りはいたんだけど、兄は電気のほうをやって、僕が弱電気、つまり電子関係を担当して、会社を大きくするっていうのが父親の目論見だったらしい。
─小さいころからピアノを習ったりして音楽の道を目指す人がいる中で、珍しいよね。
沢/そうですね。大学一年の時は音楽用語もわからないし、まわりの人の話についていけなくって。すごい落ちこぼれでしたよ。でも、本当に勉強した。朝七時過ぎに学校に行って、一限が始まる九時まではピアノの部屋にこもってピアノの練習。最初は左手も動かなくて、指三本でしか弾けなかった。それから授業も、とれる講座は全部とって。だから4年生になっても5限とか出てましたよ。でもね、「いい音楽はなんでいいのか?」を知りたかったから、すごくおもしろかったですよ。西洋音楽史もおもしろかった。音楽の構造とか、そういう理論的な授業って音大の人ってあんまり好きじゃないんですけど(笑)、僕はもともと理系だから、おもしろかった。卒業の時は卒業単位の倍は単位とってましたね。
─いまのまろは、高校の時の先生が感じたもともと持っていたものと、本人の努力の上に成り立っているわけだね。
沢/そうですね。実技も最初はひどかった。ぜんぜん歌えなくって。
─卒業するころはどうだったの。
沢/卒業するくらいのころはまだぜんぜんでしたね。まだバリトンで。行き先がなかったんですよ、卒業した後大学院も落ちて。そうしたら大学の時の教授がいい先生で、いいからうちに来なさいって言ってくれて。レッスン代いらないからって。一年間その先生のところに月一~二回通って。バイトしながらレッスン受けてました。その時に、高い音の音域が伸びてきたので、テノールに変わったらって言われて変わったんです。その翌年二期会の予科を受けた。それで入ったらやっぱり二期会だから、すごい人ばっかりで、各大学、留学先から帰ってきた人ばっかりで、え~~って感じで(笑)。二年間、ボロっかすにやられて。その後二年休学したんですよ、学費にあててた預金も底をついて。一度富山に帰った頃に知り合ったボイストレーナーの先生と相談して、休んでいる期間に、声を徹底的に作ろうと。専門の先生に叩いて鍛えてもらって、それでバージョンアップして東京に戻ってきて、二期会の三年目のマスタークラスっていうのに復帰したんです。そこからですよ、やっとちょっと歌う人かなって自分を認められるようになったのは。
─スタートラインみたいなところ。
沢/うん、やっと。
─まろってなんでもすぐパパってできちゃう人のような気がしていたけど、努力の人なんだね。
沢/母親にも言われて、自分でも持っててよかったなと思う才能のひとつなんですけど、あきらめないの。ずーっとできるまで努力できる。焦らずに。ギターだって触ったことなかったけど、あ、昨日よりちょっとうまくなったって、いつまででもやってられるの。だから結果、あきらめないし、いつか必ずできるようになるんです。
(聞き手・田上ナナ子/こんにゃく座制作)