◆1 吉川和夫・萩京子・寺嶋陸也、三人の作曲家への40の質問 その1
Q1. 生まれた年は何年、生まれた場所はどこですか。
吉川/1954年、愛知県名古屋市です。
萩 /1956年、東京の代々木病院で生まれました。
寺嶋/1964年、東京都板橋区の病院です。
Q2. 生まれた時の家族構成を教えてください。
吉川/両親と私。ひとりっ子です。
萩 /父、母、祖母、伯母、叔父ふたり。
寺嶋/両親と、当時学生だった叔母が同居していたようです。
Q3. どんな家に住んでいましたか。
吉川/父の勤め先の社宅。小さな木造の一軒家でした。大きなイチジクの木が植わっていました。
萩 /アパート。共同の台所だったと聞いています。
寺嶋/生まれたときは練馬区の平屋の戸建てに住んでいましたが、2歳頃までのことなので記憶にありません。そのあと小学校に上がるまで川崎市中野島の3階建てのアパートに住んでいたことはよく覚えています。
Q4. こどもの頃、習い事をしていましたか。何を習っていましたか。
吉川/ヴァイオリン。たまたま近所にヴァイオリンの先生がいたので。
萩 /4歳からピアノを習っていました。
寺嶋/ピアノを習っていました。そのほかの習い事はいっさいしたことがなく、塾へも行ったことがありません。
Q5. こどもの頃、将来何になりたかったですか。
吉川/ごく小さい頃はお医者さん、小学校高学年頃からは音楽家。
萩 /小説家。
寺嶋/ピアニスト。
Q6. 得意だった科目はなんですか。音楽の授業は好きでしたか。
吉川/国語と音楽。
音楽は得意だったけど、好きだったかどうか、よくわかりません。
萩 /国語。
音楽の授業は好きではなかった。音楽の授業をバカにしていた! 生意気でイヤな生徒でした。
寺嶋/国語。
音楽の授業は小学校のときは好きでした。
Q7. 一番好きだった先生はどんな先生でしたか。好きだった理由も。
吉川/3人目のヴァイオリンの先生(2人目の先生の娘さん)。美しくて優しい方。目の前でお手本を弾いてくださる指がきれいでしたねぇ。
萩 /低学年のときは担任の先生。女の先生でした。理由はよくわからないけど「先生ステキ!」と思っていました。
寺嶋/クラス全体の雰囲気を良くしてくれる先生が好きでした。
Q8. 一番好きだった行事はなんですか。
吉川/特に記憶がありません。夏休みに広っぱに集まってやったラジオ体操かな。昭和の子ども。
萩 /遠足。
寺嶋/芋掘り。
Q9. こどもの頃読んだ本で、印象に残っている本を一冊教えてください。その理由も。
吉川/ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」(抜粋版)。
小学校の担任の先生から、「いいけど、もっと子どもらしい本を読みなさい」とご注意を受けたから。
萩 /ケストナーの「ふたりのロッテ」。
ロッテのお父さんが作曲家で、食べていくために(?)酒場でピアノを弾いていることに憧れたのでした。それから、原っぱでピアノを弾いている挿し絵が強く印象に残っています。
寺嶋/ケストナーの「飛ぶ教室」。
ドイツのクリスマスの雰囲気を想像するのが好きだったのと、主人公ヨナタン・トロッツの境遇に共感したことだと思います。
Q10. 作曲家になろうと思ったのは何歳の時ですか。
吉川/12歳くらい。
萩 /15歳。
寺嶋/16歳。
Q11. 何故、作曲家になろうと思ったのですか。
吉川/なりたいと思ったから。つまり「音楽で何かを表現したい」と思ったのでしょうな。
萩 /音楽に軸足を置いて、文学、演劇、ダンス、映画など、いろいろな分野と一緒に表現ができると思ったから。コラボレーションということばは知らなかったけれど、コラボに憧れていたのだと思います。
寺嶋/とにかく音楽が好きだったので、ほかの職業のことはあまり考えませんでした。
Q12. 一番最初に作曲した曲を覚えていますか。それはどんな曲ですか。
吉川/曲の体を成していると思われる最初の曲は、簡単な合唱曲だったかなと思います。
萩 /4〜5歳の時。ピアノ曲。タイトルは「ガガーリンとチトフさま」。
寺嶋/小さい頃にやたらと楽譜を書いて遊んでいたので、何が最初だったかは覚えていません。
Q13. その曲の楽譜は残っていますか。
吉川/さて…。たぶんどこかに。
萩 /そのころはまだ楽譜を書くことはできなかったので楽譜はありません。弾いて、と言われれば何回でも弾くことができました。でももう今は忘れてしまいました、現代音楽っぽい曲だったと思います。
寺嶋/残っているかも知れませんが、無いかも知れません。
Q14. 作曲家になろうと思って、そのためにまず最初にしたことはなんですか。
吉川/無理やり作曲しました。後に大学受験のためには、作曲理論を勉強しました。
萩 /作曲の先生を探しました。父がいろいろな伝手を頼ってくれて、池内友次郎先生に習うことになりました。
寺嶋/音楽大学を受験する準備として、和声や対位法の指導をしてくれる先生を探しました。
Q15. 作曲をする時にはどんな文房具を使いますか。またそのものにこだわりがありますか。
吉川/太めで握りやすく、長時間使っても疲れにくいシャープペンとHi-uni、2B、0.5mmの芯。
萩 /2Bのえんぴつ。(シャープペンシル時代も少しだけありましたが、基本的にえんぴつ。)長く、三菱ハイユニやステッドラーを使っていましたが、今は三菱9800が気に入ってます。消しゴムはトンボのMONO。それから30センチの定規。えんぴつ、消しゴム、定規が三種の神器。
寺嶋/五線紙、鉛筆(旅先でのスケッチ=下書きには芯ホルダーを使うこともある。清書にはBの鉛筆)。清書にはそれに加えて消しゴム(普通のものと細い線を消すことのできる板状のもの)、定規。こだわりがあるわけではありませんが、使うものはほぼ決まっていて、五線紙は3種類の大きさを注文で作ってあり、スケッチにも清書にもそれを使います(そのほうが市販品よりはるかに安い)。定規は旅先用と自宅用があり、芯ホルダーは自宅では使いません。
Q16. 作曲が一番はかどるのはどんな時間帯ですか。その理由も。
吉川/理想的には午前中から夕方まで。夜は遊びたいから。けれども、たいていは何者かに追われているので、時間帯を選べません。
萩 /夕方から夜〜夜中〜夜明け。頭の中がすっきりして落ち着くから。
寺嶋/早朝。起きてからあまり時間がたっていないほうが疲れてないからだと思います。夜はたいてい酒を飲むので作曲はしません。
Q17. これがないと無理、など、作曲をする時の環境にこだわりがありますか。
吉川/ピアノかキーボードは必要。
萩 /特にないです。広い机があれば最高! でも学校の机くらいの面積があれば大丈夫です。
寺嶋/ありません。
Q18. 今までで一番変わった場所で作曲をしたのはどこでですか。
吉川/遠野市民センター大ホールの舞台。もちろん客席は無人です。
萩 /ホール(劇場)のピアノ庫。
寺嶋/変わっているかどうかはわかりませんが、自宅から都内へ出る電車で作曲をすることがあります。
Q19. オペラや合唱劇など、言葉をともなうものを作曲した時、自分で歌ってみますか。その理由も。
吉川/基本的に小声で歌いながら作曲します。音楽が観念的になり過ぎないように。
萩 /歌ってみます。理由は、ことばのニュアンスの確認のためかなあ? 歌ってみてイントネーションの違いに気がついて直すこともあります。歌ってみて楽しいときは何回も歌います。
寺嶋/全パートではありませんが歌ってみることがあります。歌いにくくないかを確認することができます。
Q20. 自作の中で、あまり知られていないけれど実は気に入っている作品を教えてください。
吉川/「影たち」「夾竹桃同窓会」などラジオドラマの音楽。でも、知られていない曲いっぱいあるから…。
萩 /沢田研二作詩の「MOON NOUVEAU」。うふふ!
寺嶋/ヴァイオリンとピアノのための「雪の日」。ティンパニとマリンバのための「デュエット・アンティフォナート」。朗読とフルート、ハープのための「杜子春」など。
オペラ『遠野物語』宣伝動画
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