こんにゃく座と宮澤賢治
◆オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』出演者インタビュー その2
2016-11-23
■こんにゃく座に入ったきっかけ
梅村/中学2年生の2月(1975年)に、在学していた長野県松本市清水中学にこんにゃく座がやってきたのです。オペラ『あまんじゃくとうりこ姫』の学校公演でした。その時の印象はオペラ『あまんじゃくとうりこ姫』という公演なのに、オペラ『とのさんとけらい』って感じで、客席の後ろの方からとのさんとけらいがずっと漫才をやりながら入ってきて、もうその印象が強烈でした。特に男性陣の声がとても楽に響いていて、良い声で、心地良くって。最後体育館で片付けなどを手伝ったんだけど、みんなとても気さくで楽しくって、こういう仕事っていいなぁってその時に思いました。それですぐに音楽の鈴木先生に「あたし、ああいう仕事がしたい!」って言いに行った覚えがあります。
―その前から、梅さんは人前で何かをやったり、歌ったりするのは好きだったのですか?
梅村/子供の時は、とても恥ずかしがり屋で、集合写真を撮るのも怖くって、いつもうつむいている感じだったの。ただ、小学校3年生の時に、音楽会で独唱することになって、それが大変な試練で歌詞も間違えたりしたけれど、なんとか取り繕ってうまくいった。中学に入ってからは、叔母がピアノの先生で歌もやっていたり伯父も美術の先生で、その影響でラジオでオペラを聞いたり、なんとなく文化的なものに触れる機会も多く、日常にあるって感じでした。一人っ子で鍵っ子だったんだけど、一人でも歌を歌いながら歩くと元気になるって思っていて、ある日、子供だけでずいぶん遠くまで歩いて行ってしまい、帰るに帰れなくなるようなことがあって、その時も「大丈夫だよ!歌いながら行けば勇気も出るし、ちゃんと帰れるよ!」って、小さい子を励ましながら大声で歌いながら帰った記憶がある。
―歌で元気になるって、実践していたんですね。
梅村/そう、ほとんど実践バージョン。勉強としての音楽というのはほとんどなく、自分にとって必要、生きていく上で必要な音楽っていうのを割と小さいころに確信していたのかもね。
―舞台を見たり、いろいろ聞いたりしてもすぐに仕事として音楽をしたいって子供の時にはなかなか思えないよね。
梅村/いろいろ聞いていく中でも、こんにゃく座は特別だった。大勢の人に向かって歌っているはずのに「あたしに歌っている!」と思った。それがとってもダイレクトにきて嬉しかった。お芝居や舞台では演じている人たちって、たいてい嘘が見えるでしょ。でもこんにゃく座の人たちは、力が抜けていて嘘がない!って思った。なんて言うの、何か超能力みたいなものを持って舞台にあがっている!、華があるって言うのかな。
―今もこんにゃく座が目指しているものが、その時にすでに全部感じられたってことなんですね。
梅村/そう、感じられた。その時にはできあがっていたんだね。だからすごく魅力を感じた。アンサンブルも声もものすごく良かったなぁ。小さい頃に体育館で、マイクを通さずにバリバリ響く声を聞くなんてことは、ほとんどないじゃない。自分たちの歌う声を聞くくらいで、それも端の向こうまで届くなんて絶対にないって思っているからね。もうそのことに大満足だった。
それでね、何かの歌を歌った時に「白い鳩が飛んだ」っていうような歌詞があって、そしたらその時に、本当に体育館で上手から下手に白い鳩が飛んだの!!
―えー、それ本当に?!記憶の中でではないですか。
梅村/本当なの!!本当に飛んだの。もうそれにやられてしまったね。
―もうそれは、運命ですね!
梅村/昔の同級生に、大人になって再開した時に、この白い鳩の話をして、だからこんにゃく座をやりたいんだ!と言ったら、そんな記憶はないって(笑)同じ時に同じ体育館にいたのにね、受け取り方がこんなに違うんだなって。
―梅さんは、もうその時のそのまま、まっすぐにこんにゃく座に向かってきたってことですね。
■宮澤賢治作品との出会い・思い
梅村/小学校の時の松下先生という先生がいて、少し変わっている国語の先生で、ゲーテと宮澤賢治が好きだった。国語の授業も独特で、「セロ弾きのゴーシュ」を題材に、なぜこの言葉を選んだか、とか、この時の気持ちはどうだったか、をみんなで話し合ったりする、まるで芝居で物語を読み解くような感じの授業だった。その時に使われた「セロ弾きのゴーシュ」が宮澤賢治作品の中では初めて出会った作品でした。
―その時の宮澤賢治の物語の印象は、今とは違ったりするのでしょうか?
梅村/今とは違うね。とっても難しいと思った。その時わからないと思っていたことが実は音楽につながっているんだなと思ったんだけど、林さんや萩さんは、宮澤賢治の物語のなかの行間に流れる空間性みたいなものが作曲させたがる、というようなことを言うんだけど、そこのところがとっても不思議な作品だなと。セリフがポツン、ポツンとあって、あまり多くを説明したがらない。その空間性がとても不思議な感じ。そこには興味があった。
オペラ『セロ弾きのゴーシュ』では、最初子狸をやったんだけどセリフが一言や二言しかない。だけどその間の空間を埋めていく、音楽があって、その空間がなんなのかを考える。それはいろんな風にとれたりするんだよね。いろいろな世界を同時に持っている感じで、そこが面白いなぁと思った。
書き手が世界を完全に作りこんで、こうなったらこういう気持ちになるとか、読めば全部わかるという物語でなく、宮澤賢治の場合は、読み手に任す部分がたくさんあるような気がして、たくさん言い切らない、決めない、全部を言ってしまわない、そこが面白いなぁって。
■オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』について
―2010年のこんにゃく座の初演と同じ役として今回も出演ですが、物語として読んだ「銀河鉄道の夜」とオペラとして表現した「銀河鉄道の夜」の印象は違う感じですか?
梅村/ものすごく思い入れが入っているんだなぁと思った、そして、とらえどころがない感じ。
子どもの時は、夏休みの宿題で「銀河鉄道の夜」の感想文を書くのに読み切れず、いい加減に書いて怒られた記憶があるんですが(笑)いつかちゃんと読まないとと思っていた。
―オペラでやってみて発見したこととかがありますか?
梅村/実際にその登場人物を文字の状態から立ち上げていく作業でしょ。その人の気持ちを表現しようと演じたり歌ったりしていくと、そのキャラクターたちは、結構好き勝手やっているなって思う。私のやる先生と尼さんで言うと、先生は本当に星や天文学が好きで、これでもかって子どもたちに説明するんだってね。イコール宮澤賢治なんだなって思う。
尼さんはもうぶっ飛んでいるでしょ(笑)
子どもって生まれてすぐはお乳飲んでまず生きる!泣く!から始まって、だんだん立って歩けるようなっていろいろ自分でやれるようになって、周りの他人のことも考えるようになっていくじゃない、子どもであるジョバンニやカムパネルラがこの世界でそうやって生きることを学んでいく、単純な人間関係だけでなく、それ以上のもの、その深層にあることとか、そういうことを発見していく物語なんだなって。ジョバンニやカムパネルラって人のことをよく考える、気持ちがよくわかる子だよね。
―もともとうた座(名古屋のオペラグループ)のために最初に萩さんが作曲した時はオペラ『ジョバンニとカムパネルラ』ってタイトルでしたね。原作よりも、よりジョバンニとカムパネルラの二人が中心で、二人の少年の物語って感じが強くて二人の気持ちの動きがオペラだとよくわかりますよね。
梅村/舞台にあげることは難しい作品なんだろうなって思うんだけど、初演は映像を床に打つ演出で成功したかもね、でも二人のことを軸にしているから、そういう映像とかがなくても成立するよね。
先生のシーンでも初演では宇宙の映像をたくさん使っていて、その映像とのタイミングを合わせるのがものすごく細かくて大変だったけど、今回はその映像に頼らずに、この先生はどこの部分が一番言いたいことなのかを歌や言葉でつなげていく時に、あるひとつのドラマチックさを持っていないといけないなぁって、そこをどういう風に表すことができるかなって、もっとやれるかなぁって思う。
―尼さんはどうですか?可愛らしい、純粋な人ですよね。
梅村/尼さんね!もうあの人はぶっ飛んでいるからね。でも宗教に対する宮澤賢治の見方のひとつもここに出ているのかもね。ともかく楽しくやれればいいな!
(聞き手・忠地あずみ/こんにゃく座制作)