こんにゃく座と宮澤賢治
◆ジョバンニ・島田大翼が作曲・萩京子に聞く作曲のあれこれ
2016-11-02
(対談/萩京子:オペラシアターこんにゃく座代表、座付作曲家。島田大翼:2005年入座、こんにゃく座歌役者、ジョバンニ役)
ジョバンニ役の島田大翼が音楽的なマニアックなこともふくめて、作曲の萩京子へ質問していくふたりの対談。
たっぷりお楽しみいただければ…これさいわい。
たっぷりお楽しみいただければ…これさいわい。
●楽器を選ぶ
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』はクラ(クラリネット)とチェロとピアノ。
島田/楽器は作曲家が選んでいるのですか?クラリネットが使われることがソングでも他のオペラでも多いですが、なぜこの楽器を選んだのでしょう?
萩/宮澤賢治と言えば「セロ弾きのゴーシュ」でしょう?やはりチェロは、賢治を象徴する楽器なので、まず真っ先に思うのがチェロ。賢治の世界を表す楽器としてチェロは使いたいと思っていた。ピアノプラス二つの楽器を使えるとするならば、管弦楽にしたいから(笑)管楽器の中からクラリネットを選んだ。なぜクラかといえば、クラは音域も広いし音色も幅広い。いろいろと使いやすいのでちょくちょく使いたくなる。ソングに楽器を加えるときにクラがたびたび登場するのはそういうわけ。それで、『銀河鉄道』はクラ+チェロ+ピアノとした。
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』2010年シアタートラム 初演時楽士。
●電車の音楽は、左手5度
『銀河鉄道』の銀河ステーションに行くときの音楽ってこう…左手が5度をトントントントン
島田/前にも水を表すときの作曲について聞いたことがあるけれど(2013年『銀のロバ』The動画 その1)、萩さんの電車を表す時の作曲って何かあるのかなと思っていて、『銀河鉄道』の銀河ステーションに行くときの音楽ってこう…左手が5度をトントントントンとあって、『金色夜叉』の新橋ステーションもこういう感じでしょ、あと「ガタンコ」(オペラ『シグナルとシグナレス』の中のソング)も左手で5度がずっとあって、なんか萩さんの中の、電車の音楽ってのがあるんだろうなと…。
萩/汽車のイメージね、あるのかもしれないね。10代で作曲を始めた時には、風とか雨とかを表す、印象派の音楽の表現みたいにね、自分がそういうことを表現できるとはあんまり思っていなかったんだよね。でもオペラを書くという局面になってそういうことを音楽で表現する必要が出てきたし、そういう表現に魅力を感じるようになって、いろいろね、イメージをかきたてて…、電車とか汽車のイメージは、5度でドドドドなんだよね。それから『銀河鉄道』でも使っているし、賢治の『
遠くから聞こえてくる汽笛の音のイメージ。自分を呼んでいるように感じるような音。意図的にね、パパパパってちょっと危機的な感じな音っていうのかな。
●禁止の平行5度!
オペラ『ロはロボットのロ』より。上の二声が完全5度のまま平行移動している。
均整のとれた音の積み重ねの美しさをいつかは好きにぶち壊して…
島田/平行5度…、僕はクラシックよりロックが先だったもんで、ギターのパワーコードなんかでずっと5度の平行移動をし続ける、というのにはなじみがあって、そのこと自体にあまり違和感ないのだが、ピアノっていう楽器で平行5度を聞くとやっぱり珍しい感じがするんです。
萩/どうも私は平行5度が好きだよね。でもピアノという楽器は平行5度、弾きにくいよね。なんか生理に反しているのかな?平行5度を連打するということは、手の形を決めてそれをずらすことになったりして、なんかこんなことして良いのかなっていうような手の動きになる。クラシックのピアノを習うと手をしなやかに動かさないといけないからね。大ちゃん(島田大翼)がギターだと平気でピアノでは珍しく感じるというのは、案外クラシック通なのかもね(笑)。
でね・・・。バッハやベートーベンとか、つまり古典の音楽を聞いて、その形式の美しさや音の美しさを音楽の美しさとして認識すると、平行5度とか平行7度、4度とかね、そういうものを聞いたときに違和感を感じたり、逆に新しさや新鮮さを感じるはずなんだけど、最初から(西洋音楽の)古典派の音楽とか何もそういう耳の経験を持たないところから音楽にはいっていくと、平行5度も平気だし不協和音も平気で、逆にその(古典派の)3和音(注:ドミソとかラドミのような3つの音が3度で重なっているシンプルな和音)が新鮮に聞こえたりとかあるかもね。
作曲の勉強って、和声とか対位法とかから入っていくんだけど、和声などの、音の並びの、こうしてはいけない、こう繋がってはいけないっていう規則があってね。なんでそんなことを習うかというと、ある均整のとれた音の積み重ねの美しさを追求し、縦横の並び、古典的な美しさを最初に叩き込むっていうことかな?いつかは自分でぶち壊していくけれども、これは知らないでやっているのではないんだ、ちゃんと身に着けてやっているんだ!という証拠付けのために苦しい作業、勉強をしてきたというのかな。
●予測を裏切る旋法
【旋法:音階を、その主音の位置や音程の違いにより細かく分類した音列。教会旋法、中国・日本の律旋法、インドのラーガなどがある。】なんでここが半音低くてここが半音高いのって(笑)
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』2010年 シアタートラム 尼僧:梅村博美
島田/『銀河鉄道』の尼さんの歌とかって、ミクソリィディアンスケール(音階のひとつ)っぽいなあ、って思って、同じく梅村さんが演じる最初の先生の歌のところも、やっぱりミクソリディアスケール寄りだよなって。やっぱり何かしら関連付けて書いてるのかなって。
萩/ふふふ(笑)旋法ね。全部感覚だから、理屈で音階から考えて書いているわけではなくて結果がそうなるんですね。そういう旋法、モダンジャズとかのアドリブのフレーズとかに多いよね、そういうのやっぱり好きなんですね。
オペラ『ネズミの涙』
島田/『ネズミの涙』の「♪金字の紙がひらひらと…」のとこも、あ、リディアンドミナントスケールが出てきたな、って。
萩/そう、それはさ、全部感覚なんですよ・・・。この旋法でいこうって決めて書いているわけではないから、迷惑かけているんですよ(笑)。ちょっとそこに強調つけたいって、「♪ひらひらと…」を印象つけたいとかさ。歌いにくくなるかもしれないけどひらひらのひとつめの「ら」のところにシャープをつける。そうじゃないと、すっと流れていっちゃうってところをね。
島田/たぶん多くの人の耳に、長音階(イオニアンスケール)と短音階(エオリアンスケール)が当たり前にしみ込んでいるところに、異物が混入してくるっていうか、ここは普通じゃない幅で進むよっていう時とかに、「♪ひらひらと…」って、なんでここが半音低くてここが半音高いのって(笑)
―聞く人の気持ちの生理を裏切る感じなんですね。
萩/そう、予測を裏切るって楽しいよ。
●音階
【ある楽曲あるいはその一部を構成する音を音の高さに従って並べたもの。スケール。】こんにゃく座の歌い手の隠れた苦労っていうのがね。聞いているとそんなに難しくないんだけどね。
島田/伴奏は、ド・レ・ソくらいしか使っていないところに、そうじゃない部分の難しいのがはいってきちゃって、あぁ大変だーってね。
萩/そう、簡単そうな譜面なのになんか非常にやりにくいって言われますね。
島田/聞く時はそうでないかもしれないんだけど、いわゆる普通の音階と、この部分が違うから歌う側は難しんだなって。歌った時に全音音階なんかがこう来ると、それを普段から練習していないと歌えない。僕はけっこう音階や音程だけの練習ってするんですけど。♪ド・レ・ミ・ファ♯・ソ♯・シ♭、とか、♪ド・ファ♯・ドから♪レ♭・ソ・レ♭って、こういう行き来を。やっぱり、やんなきゃできないなって思うから。
萩/へえ!訓練したんだ!
―それは、こんにゃく座にはいってから?光さんや萩さんの曲に触れてから?
島田/そうですね、萩さんとか光さんの曲に会って。それまでにそれらの音階や音程って、知識として頭にはあっても実際歌う機会なんてほとんど無くって、でもこんにゃく座では実際に、しかもかなり頻繁に歌わないとダメなんだって。『まげもん-MAGAIMON』で星之丞役が歌う「♪腰抜けがぁぁ」とか、みな最初は、「♪腰抜けがぁぁ(ド・ファ♯)」、とか増4度の音程でなかなか歌えない、「♪腰抜けがぁぁ(ド・ラ)」まで行き過ぎちゃったりする(笑)
萩/高けりゃいいってもんでもないよ!(笑)目分量であがっていっちゃう(笑笑)
島田/瞬間で「♪タタタタタァァ」って、そこに到達しなければならないのが難しい…。
萩/こんにゃく座の歌い手の隠れた苦労っていうのがあるんだね。聞いているとそんなに難しくないんだけどね。楽しそうに聞こえるかも知れないけど、楽しく歌っているだけではないんだって、これからは発言していくね!
島田/いざ歌った時に歌えないですよー。僕もいろいろ理屈ではいうけど、歌う時の分析とか聞くときの分析ってあまりないですよね。
萩/でも、こんにゃく座って、リズムにしても和音にしてもメロディーにしても、難しいものをすごくやっているって、わかってくれている人は言ってくれるよ!とても普通のクラシックの歌い手にはできないよって。
●どんな状況でも歌う
これやったら歌いにくいですって言ってはいけないっていう教育がさ、行き届いちゃったからね。
島田/確かに、歌をやっている人が聞くと、いやぁこれをなにげなくやるのは難しいだろうなって思うかもしれない。最近だと、リンちゃんを抱えてバスを降りながら歌う(オペラ『ネズミの涙』)のなんかを、すごいって言われることもあります。
萩/あれは、すごいよね。あんな、ね、バスの端っこに足ひっかけて降りて来るんだものね。ぐったり脱力した(死んでしまったことになっている)相手役を抱いてね。
―こんにゃく座は、寝て歌う、走りながら歌う、物食べながら歌う、楽器弾きながら…って、体を張った歌い方は見た目にもお客さんにわかるしすごいと思われるけど、実は譜面上でも高度なことをやってるんだって、ね。
萩/そうそう、それね。これからはぜひ伝えて行こう!
島田/大変そうだなとか辛そうだなとか、できればあまり見ている人にそういう風に心配かけずにやれたらいいな、とは思います。
―最初から、みんな普通じゃない状態でなんでも歌えていたわけじゃないよね。でもどちらかと言うと、基本的にみんな体育会系歌役者みたいだものね。
萩/なんか、これやったら歌いにくいですって言ってはいけないっていう教育がさ、行き届いちゃったからね。どんな状況でも歌うから、こんな状態では歌えません!って言った方がいいじゃないかって思う場面があったりね(笑)
●大学士 サティの引用??
ひとつの場面でひとつの登場人物の感情がコロコロ変わっていく、そういう時にそういうやり方をね
島田/大学士のところ(オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』)、あそこで尼さんのおかげで突然心が晴れた時に、サティの「ジムノペディ」みたいな音型がありますね。あれ、これ引用なのかな、引用じゃないのかなって思うところはいくつもあって。「星めぐりの歌」とかドボルザークの「新世界より」とかは明らかに引用してると思いますけど…。
萩/うんうん(笑)、そう、サティは意味としての引用ではなくて、似てたっていうことなんですが・・・(笑)。でももしかしてパロディーの意味合いはあったかもしれない。やっぱりこう、ジョバンニとカムパネルラの求める世界の色合いと、北村想さんの台本では、非常に登場人物が喜劇的。この作品には違う世界が共存している。原作よりも喜劇性を際立てた書き方をしているのでそれを意識して両方にいかなければならない、ひとつの場面でひとつの登場人物の感情がコロコロ変わっていく、しかも意味もなく変わっていかなければならないので、そういう時にそういうやり方をね、「サティ的」なワルツとかを持ってきたんですね。
●永遠の2度
オペラ『おぐりとてるて』より。二声が長2度のまま長く伸びる。
『銀河鉄道』だと、♪どこまでもぉーって、ところ、あそこが2度になっていて、本当にどこまでもぉーって思う。
島田/2度っていう音程への思いってやっぱりあるんですかね?『銀のロバ』インタビューの時にちょっと聞いた時はどういうことかなって思ったのですが、その後、いろいろ聞いたり歌ったりしていると、確かにやっぱり平行でどこまでもっていう感覚がわかる気がする。3度だと綺麗にまとまってしまうのか、ちょっと違う。
萩/そう、終わりがない感じ、こうずーっとね、3度だとどこかへ行くとか、帰ってくるって感じだけど、2度だとそのままね。どこかへ行ってしまう感じになる。
島田/『銀河鉄道』だと、「♪どこまでもぉー」って、ところあそこが2度でどこまでもぉーって。『おぐりとてるて』でも、終曲の「♪ものがたりは終わり、また去ってゆく〜」って、これは歌っていると2度のぶつかりが気持ちよくて声を出しすぎちゃう、で出しすぎと反省するんです。
萩/どっちかが強いとダメなのね。同じ状態、どっちかが主ではないので。永遠の2度!好きなんです。2度は交わらないし、離れない。感覚的ものだけどね。
●ミの不在の和音(コード)
音と音が重なる、声と楽器の重なり、声と声の重なりっていうのにすごく大きい魅力を感じる。
島田/『銀河鉄道』にも割と出てくる、♪ド・レ・ソみたいな形での和音の登場の仕方、「ミ」の不在っていうのかな。
萩/そう、ミの代わりのレ、とか ミの代わりのファ、というのが好きなんだよね。オペラってどうしたって西洋音楽をベースしているんだよね。西洋音楽なんかあまり関係なく書きたい、なんて思ったこともあるけど、やっぱりどうしても西洋音楽がベースなんだなって思うのは、発想に和音があるからかもしれない。ひとりが歌う面白さと声が重なる面白さというもの、それはオペラの現場で両方実感として感じていて、全部ソロだけで成り立っている作品よりも音が重なり合う表現の力というものをこんにゃく座の中でとても感じているので、オペラを書く時に少人数のオペラでも音の重なりというものを創ろうと思う。ひとつの旋律の魅力というのもあるけど、音と音が重なる、声と楽器の重なり、声と声の重なりっていうのにすごく大きい魅力を感じる。3度や6度のきれいなハーモニーも必要だし、それをうまく使っていきたいと思うんだけど、2度とかね、7度とかね、すごく使われちゃうですねぇ。私の作品の中ではね。
●調性
【メロディーや和音が、中心音と関連付けられつつ構成されているとき、その音楽は調性があるという。伝統的な西洋音楽において、調性のある音組織を調と呼ぶ。】音楽と言葉とかその関係を新しくしていく、そっちの方が面白いということに出会ったから、調性ですよ。
島田/萩さんの「風がおもてで呼んでゐる」(ソング。作詞:宮澤賢治 作曲:萩京子)とか最初聞いた時はビックリしましたよ。新しいなって思うんだけど、無調なわけではなく。萩さんは基本的に調性をもって書いていらっしゃるんだなと思う。
萩/そうですね、こんにゃく座中心でやるようになってからは、調性をはずしていくっていう感覚からは遠のいていて。学生時代は調性から離れたものをまず書かなくてはって思ってた。今も音大(芸大?)の作曲科とかでは、調性音楽を書いていると、あ、調性なのって言われるんですって。(調性なんか!っていう意味です。)かえって不自由かもしれない。私はこんにゃく座という歌を歌うひとたちと出会い、オペラというところを中心にやるようになったので、音楽の構造や形式を壊していくことよりも、音楽と言葉とかその関係を新しくしていく、そっちの方が面白いということに出会ったから、調性ですよ。でも最初の頃は、あがいていたのですよ(笑)『なにもないねこ』(1980年初演、原作:別役実、台本作曲:萩京子)の頃なんかは、ものすごくへんな書き方していたし十二音技法もどきの書き方とか、それから、全部の調を盛り込む書き方したり、調性なんだけど調性じゃないとかね、だんだんもう、気持ちの赴くままに書くようになって、『アルレッキーノ』(原作:カルロ・ゴルドーニ、台本演出:加藤直、作曲:萩京子)なんか、どこいくのかわかんないような、作曲しながら調がどんどん変わって、自分でも手に負えなくなっていき…、元に戻らなくてはいけないとも思っていないけど、なかなか道を見つけるのが難しくなってね。調が出張していくんですよー、いろんな調に!そしてギーンて戻したりして。そうすると大ちゃん(島田大翼)とかに、ここわからないんですけど、とか言われたりしてね。(笑)
島田/僕は割とコード(和音)で音を覚えていくので、この調からこの調に転調する、ってはっきり定義できてないとわからなくなるんですよ。楽譜なんかもとにかく最初に見て覚える、覚えるまでは口に出さないってしてるんだけど。譜面を見てる時にはあんまりどんな音かわからず、楽譜を閉じてから声にしてみてはじめて、こんな音なのかって思ったりする。
萩/声を出さないで音取りする島田大翼(笑)
●なぜこの調(キー)から?
ある程度まとまりのいい、そんなに人を不安に陥れないような曲にしたいと思う時はそうだけど、もうなるようになれって書いて戻って来られないようになって終わる、それでもいいと思う時もある
オペラ『想稿・銀河鉄道の夜』2010年 シアタートラム
島田/例えば、『銀河』の「♪星のまつりの夜は〜」のところは「H dur」で書いてありますよね。なんでかわからないけど、H durがくると少しビックリするんですよね。『アルレッキーノ』の5場かな、「♪おお〜腹が減る」ってとこもH dur、『ゴーゴリのハナ』(原作:ゴーゴリ、台本演出:加藤直、作曲:萩京子)の4場「♪あら、見て〜」もH durだし、なんでH durにしたんだろうって思うんですけど。
萩/あのね、つまり何の音から始めるか、何の調から始めるかって選り取り見取りでしょ。それはね、自由でしょ、それを決めるのは…。考えるんですよ。器楽の場合はほんとにインスピレーション。歌の場合は、歌う人の音域とか考える場合がある。(声域の)真ん中へんから始めるのか下から始めるのか、最高をどこらへんまでもっていくか、とかね、それで調が決まってくるところもあるし、ある調で書き始めてもどんどんもっと上にいきたくなっていって、でもそれは不可能だとなった時に振り返って下げたりすることもあるし、どんどん下がってきてまずいとなって最初を上げたりね。変えなくていい時はいいけれどね。
島田/「ジャスト・マイ・サイズ」(オペラ『ガリバー』劇中のソング)なんかも、けっこうビックリするんですよね。最初D durで始まるのにすぐにC durに転調して、同主調や平行調を行ったり来たりしながら最終的にEs durで終わる。どういうことなのかなって。
萩/そうでしたか(笑)。「ジャスト・マイ・サイズ」はソングではあるけど、オペラの中だったから、最終的に始めた調にもどらなくてはって意識はなかったかもね。
島田/これで始まってこれで終わるの?!ってこともある。そこまでしてって…。
萩/あはは…。
島田/やっぱり全体を考えて作曲していくんですよね。
萩/そうそう、ある程度まとまりのいい、そんなに人を不安に陥れないような曲にしたいと思う時はそうだけど、もうなるようになれって書いて戻って来られないようになって終わる、それでもいいと思う時もある。意外な調にいくっていう新鮮さ、それは調がどうのっていう聞き方をしていない人でもちょっと飛ぶ感じっていうの、フッて音楽が浮遊する感じというのは、面白い感じがするんじゃないかな。