こんにゃく座と宮澤賢治

◆オペラ『グスコーブドリの伝記』出演者インタビュー その7 岡原真弓 2016-08-24

岡原真弓
岡原真弓(おかはら・まゆみ)
1988年入座
大阪府出身
大阪芸術大学卒業

オペラ『グスコーブドリの伝記
母、クーボー博士、ぺかぺか 役

◆こんにゃく座に入ったきっかけ

岡原/歌に出会ったのは、生まれた時からで、母がとにかく日常から歌うのが好きだった。それで自分も歌うことが好きで、自然に歌うようになっていった感じ。

─オペラやコンサートでもたびたび弾いているアコーディオンもプロ級の腕前なんだけど、アコーディオンはいつから?

岡原/10歳から。もともと、おやじの憧れの楽器で。「うたごえ(※1)」のアコーディオンのサークルに入ったから、まわりはみんな大人たちで私はものすごい可愛がられた。他の人は働いているけど私は時間があるからめちゃくちゃ練習して、上手なの(笑)。12歳の時に、第一回アコーディオン全国コンクールっていうのがあって、受けてみようということになって、受けたら、小学生の部で1位だった。
アコーディオンは高校一年くらいまで続けていたんだけど、そうしたら、自然に歌が習いたくなって。声楽を。別に音楽大学を受けるつもりもなく、ただ、歌を練習したいな、と思って。それで芸大の先生みたいな人に習いにいったら、「どこ受けるの?」と聞かれて、受験のためのレッスンと思われたみたいで。受験も無しに習いにいく学生なんていないから。

─それから音大を受けるということになって。それは歌を続けたいという思いから?

岡原/他に行く大学がなかったから。私イベントは好きだから、コンクールとか受けると、ものすごくがんばってやっているのに、緊張しすぎて予選で落ちちゃったりする子もいる中で、私は本番だと実力の50倍くらいでるから、通っちゃった。それで、あれ? なんか私うまいのかな? とか錯覚して(笑)。それでますます先生は当然もう音大でしょ、となっていって。大阪芸大は、トップで入ったら学費が全額免除になるっていう制度があって、池田高校(出身高校)ならば、学科のほうは絶対通るって言われて、歌とか聴音とか音楽のレッスンを結構いっぱいして。それで蓋を開けたら、実技は一番だったんだけど、学科がものすごく悪くって(笑)。裏切られたと母が怒り(笑)。でも、結局大学はおもしろくなかった。仲間たちともあわなかったし。

─その後に、こんにゃく座と出会ったんだ。

岡原/そう。卒業しても自分が実技をする音楽の道には行けないって思って、結局就職浪人して。その間も、合唱団のピアニストとか、ボイストレーナーをやってほしいとか頼まれたりしていたんだけど、こんなことだけやっていてもダメだっていうのが自分でわかるわけ。でも仕事はそれなりにあって、このまま行くのか私、と思っている時に京都でこんにゃく座の『セロ弾きのゴーシュ』を観て、「これだ! 私の居場所だ!」って。「その歌い方、こういう歌い方を私はしたかった!」ってすごく思った。それでその時に、ロビーで、「オーディションとかあるんですか」って聞いたら「じゃ、案内を送ります」って言われたのに、一切送ってこなくって(笑)。いつまでたっても連絡がこないから、東京に行くついでの時に、東京駅の公衆電話から電話をしたら、出た人が「いま研修所というのをやっているので、よかったら見学にいらっしゃいますか」って言うから、「行きます」って言って。その時萩さんが講師をしていたんだけど、今も忘れないんだけどね、萩さんが「一緒にやれるといいですね」って言ったわけ。こういう講師とかやるような立場の人がこんなことを言うんだ、「一緒にやる」って言うんだ、っていうことに、うわーっ! て感動して。それでその後、ながーい手紙を書いたわけ。なんでもやる、制作でもなんでもやりますから、ぜひ入れてください! って。

◆宮澤賢治作品との出会い

─宮澤賢治との出会いっていうのは。

岡原/こんにゃく座。

─こんにゃく座? こんにゃく座入るまでは、ぜんぜん?

岡原/読んだことなくって、ほとんど知らなかった。知らないっていうか、「雨ニモマケズ」くらいは知っている、くらい。「雨ニモマケズ」は戦争の時にすごく利用された経緯があって、岡原家の中では大変イメージがよくなかった。だから家に賢治の本は一冊もなかった。

─では大人になってから賢治に出会ったわけだね。賢治に対する思いとか感想とかってありますか。

岡原/うん、ほとんどが本としてではなく、オペラとして出会っているから、言葉と音楽がとてもあうんだな、と思う。それから、原文そのままでオペラになるんだ、っていうこととか。
入座してからいくつかは賢治の作品を読んだりはしていて、「よだかの星」なんかは、あ、この話いいな、て思った。とにかくオペラになるかどうかってことばっかりを考えながら読んでいたんだけど、「よだか」はオペラにしてほしいなって思ったから、萩さんに言ったら「できない、これは」って言ったんだけど、後に、オペラじゃないけど、うたものがたり「よだかの星」として、谷さん夫妻に書いていた(笑)。

─こんにゃく座で出演した賢治作品では、『ゴーシュ』の楽長とか、『どんぐりと山猫』の山猫とか、印象の強いものが多いけど、あとは、『賢かった三人』か。

岡原/そう、『賢かった三人』が私の人生の出世作だと思っている。『賢かった〜』の蜘蛛。

◆オペラ『グスコーブドリの伝記』

─ブドリは読んでみてどうでしたか。

岡原/過去に一回読んだことがあったんだけど、実はその時はぜんぜんおもしろく感じられなかったの。なんかわけがわからない、っていう感じで。それで今回この作品をやることになって改めて読んでみて、私は自己犠牲とかっていうことよりも、ブドリがいろいろなことを開拓していく精神とか、あとは飢饉でひどいめにあう人々への思いの高まりみたいなことに注目したいと思った。賢治がどういう精神を持ってこの作品を書いたのか、という点も興味深いなって感じて。ところが、実際8/1からブドリの稽古が始まって、やりながら内容を考えていると、どうにも行き詰まってしまって。そこで、演出のしまさん(しままなぶさん)がブドリの元になっていると言っていた、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」をまた読んでみたのね。これも昔読んだ時は、さーっぱりわけがわからなかったんだけど、これがブドリのお話がわかってから読むと、めちゃくちゃ面白くって! 化け物世界の話で書かれているんだけど、私たちが、いま作る「グスコーブドリの伝記」には、このファンタジーが必要なのではないか、ってひらめいたわけ。そうしたら目の前がパーッと明るくなって、稽古もすごく楽しくなってきた。賢治がこの作品を書いた時に憧れた、サイエンス・ファンタジーに、私も生き生きと憧れる気持ちになれた感じ。初日まであとひと月切りましたが、がんばります!

岡原真弓
2016年『Opera club Macbeth』ヘカティ役(左が岡原真弓)

(聞き手・田上ナナ子/こんにゃく座制作)

^※1…「うたごえ」=日本のうたごえ運動は、合唱を主体としたサークル活動を基盤とする大衆的で民主的な音楽運動であり、内外の優れた音楽遺産を引きつぎ、専門家および大衆的創作活動と結び協力して、平和で健康なうたを全国民に普及することを目的とします。(日本のうたごえ全国協議会公式ホームページより抜粋)