こんにゃく座と宮澤賢治
◆こんにゃく座の賢治オペラ 2016-06-01
萩京子・オペラシアターこんにゃく座代表、座付作曲家 |
こんにゃく座が宮澤賢治の作品をオペラに! と動き始めたのは、1985年です。
オペラ小劇場こんにゃく座という名称からオペラシアターこんにゃく座に変え、小さな稽古場兼事務所を世田谷区駒沢に構えて、座員6人で再スタートを切った時代です。
どうしたらオペラ劇団として活動を継続できるか模索するなかで、少人数で上演することができ、さまざまな場所での公演が可能なオペラ作品として、宮澤賢治の作品をもとにしたオペラづくりに取り組みはじめました。
賢治作品には、魅力的な登場人物(動物?)が溢れ、想像力をかきたてられる奇想天外な物語の展開があります。日本という国を越えた宇宙的なスケールがあります。それでいながら、東北という風土に根差した色合いや香りも実にそこに存在しています。
林光さん(1931-2012。作曲家。長年オペラシアターこんにゃく座の芸術監督・座付作曲家をつとめる)は、かなり以前から賢治オペラの構想をあたためていましたが、どのような台本が可能か長く悩んでいました。
そんななか、林光さんとも関わりの深い劇団黒テントが「宮澤賢治旅行記」と題して、賢治のさまざまな作品を原文のまま語り、演じ、場面によっては歌う、という方法で上演をはじめました。林光、萩京子も音楽スタッフとして関わりました。
すると、賢治のことばを脚色せず、そのまま歌うオペラ、というイメージが、作曲家のなかで膨らみ始めました。
そして第一弾として、オペラ『シグナルとシグナレス』(作曲:萩京子)が、音楽事務所ムジカ(現・ムジカ音楽・教育・文化研究所)が開催した「夏の合宿講座」ゲストコンサートで初演されました。
『シグナルとシグナレス』は信号機の悲恋のおはなしです。人間は登場せず、信号機や電線や倉庫の屋根などが擬人化されて登場します。動けないはずの信号機が夢のなかで、夜の星の世界へ飛んでいきます。
ふたりの歌い手(竹田恵子と大石哲史)が次々と役を奪い合いながら物語を進めるこのやり方、人手が足りないなかで生まれたアイディアが、こんにゃく座の賢治オペラの原型となりました。
翌年の1986年、こんにゃく座にとってエポックを築くオペラ『セロ弾きのゴーシュ』(作曲:林光)が初演されます。
6人の歌い手が、賢治の原文そのままに物語を歌い、各場面でそれぞれ登場人物となって演じます。日本の文学史上、特異な存在である宮澤賢治の作品にもとづいているという点においても、他国のオペラの物まねでない新しい「日本オペラ」が実現したと言えるのではないでしょうか。
オペラ『セロ弾きのゴーシュ』は、日本中を駆け巡りました。小学校、中学校、高校、一般公演、劇場、ホール、学校の体育館はもちろんのこと、野外でも公演しましたし、会議室のようなところでも上演しました。1999年にはフランスのアヴィニョン演劇祭にも参加し、大好評を得ました。日本語で上演し、字幕も使わなかったにも関わらず、音楽で物語を伝えることができたのです。そして、海外の観客に接することによって、ことばを伝えることを大切にしてきたこんにゃく座は、ことばで音楽を伝えているのだということの確信を持つことができました。
1992年からは「宮澤賢治歌劇場」シリーズを開始しました。これまでに賢治オペラを15作品上演してきたこんにゃく座にとって、賢治さんはちょっと上の世代の人ではありますが、とても大切な協働者です。
オペラになりたがっているかのような賢治の作品群。こんにゃく座はこれからも掘り起こしていきたいと考えています。
オペラ小劇場こんにゃく座という名称からオペラシアターこんにゃく座に変え、小さな稽古場兼事務所を世田谷区駒沢に構えて、座員6人で再スタートを切った時代です。
どうしたらオペラ劇団として活動を継続できるか模索するなかで、少人数で上演することができ、さまざまな場所での公演が可能なオペラ作品として、宮澤賢治の作品をもとにしたオペラづくりに取り組みはじめました。
賢治作品には、魅力的な登場人物(動物?)が溢れ、想像力をかきたてられる奇想天外な物語の展開があります。日本という国を越えた宇宙的なスケールがあります。それでいながら、東北という風土に根差した色合いや香りも実にそこに存在しています。
林光さん(1931-2012。作曲家。長年オペラシアターこんにゃく座の芸術監督・座付作曲家をつとめる)は、かなり以前から賢治オペラの構想をあたためていましたが、どのような台本が可能か長く悩んでいました。
そんななか、林光さんとも関わりの深い劇団黒テントが「宮澤賢治旅行記」と題して、賢治のさまざまな作品を原文のまま語り、演じ、場面によっては歌う、という方法で上演をはじめました。林光、萩京子も音楽スタッフとして関わりました。
すると、賢治のことばを脚色せず、そのまま歌うオペラ、というイメージが、作曲家のなかで膨らみ始めました。
そして第一弾として、オペラ『シグナルとシグナレス』(作曲:萩京子)が、音楽事務所ムジカ(現・ムジカ音楽・教育・文化研究所)が開催した「夏の合宿講座」ゲストコンサートで初演されました。
『シグナルとシグナレス』は信号機の悲恋のおはなしです。人間は登場せず、信号機や電線や倉庫の屋根などが擬人化されて登場します。動けないはずの信号機が夢のなかで、夜の星の世界へ飛んでいきます。
ふたりの歌い手(竹田恵子と大石哲史)が次々と役を奪い合いながら物語を進めるこのやり方、人手が足りないなかで生まれたアイディアが、こんにゃく座の賢治オペラの原型となりました。
翌年の1986年、こんにゃく座にとってエポックを築くオペラ『セロ弾きのゴーシュ』(作曲:林光)が初演されます。
6人の歌い手が、賢治の原文そのままに物語を歌い、各場面でそれぞれ登場人物となって演じます。日本の文学史上、特異な存在である宮澤賢治の作品にもとづいているという点においても、他国のオペラの物まねでない新しい「日本オペラ」が実現したと言えるのではないでしょうか。
オペラ『セロ弾きのゴーシュ』は、日本中を駆け巡りました。小学校、中学校、高校、一般公演、劇場、ホール、学校の体育館はもちろんのこと、野外でも公演しましたし、会議室のようなところでも上演しました。1999年にはフランスのアヴィニョン演劇祭にも参加し、大好評を得ました。日本語で上演し、字幕も使わなかったにも関わらず、音楽で物語を伝えることができたのです。そして、海外の観客に接することによって、ことばを伝えることを大切にしてきたこんにゃく座は、ことばで音楽を伝えているのだということの確信を持つことができました。
1992年からは「宮澤賢治歌劇場」シリーズを開始しました。これまでに賢治オペラを15作品上演してきたこんにゃく座にとって、賢治さんはちょっと上の世代の人ではありますが、とても大切な協働者です。
オペラになりたがっているかのような賢治の作品群。こんにゃく座はこれからも掘り起こしていきたいと考えています。